TRANS・BRASIL ブラジル往復
マラニョン州カシアス 詩人の大地、あるいは、セルタオンのプリンセスと呼ばれる。イタペクル川が流れ、緑に恵まれている。
カシアスの友人宅の料理人。彼女はお手伝いさんとしてではなく、料理専門で雇われている。マラニョン州の伝統料理なら何でも作れる。郷土料理を今に伝える貴重な存在。
テレジーナの義理の伯父の家で洗濯中。洗濯板つきの流し台。隣に新品の洗濯機があるが、この日は、お手伝いさんが洗濯しない日だった。
義理の伯父の家の家事室。ブラジルの家やアパートにはこのような家事室があり、通常台所と繋がっている。2DKくらいの小さなアパートでも家事室、あるいは家事コーナーがついていることが多い。ドイツの一軒家は地下が家事室になるが、アパートにもこんな家事室があれば、来客があっても、洗濯物を干したままにできるのにー。
017「エンプレガーダ・ドメスティカ」
2003年の春から夏にかけての約3ヶ月、マラニョン州のカシアス市(人口15万人)とピアウイ州の州都テレジーナ市(人口82万人)で暮らした。どちらも、赤道にとても近い街だ(南緯5度くらい)。それぞれの街では、友人宅にお世話になった。もう、10年ちかく前のことになる。
カシアスでお世話になったのは、大家族の家だった。熟年夫婦とその娘たち3人と息子1人、次女の娘と婚約者、そして母方の両親の総勢10人。末娘のマリレーヌが姉の部屋に移動し、私のために部屋をあけてくれた。テレジーナでは友人夫婦の家に同居させてもらった。
当時、カシアスやテレジーナのごく普通の家庭に揃っている電化製品は、冷蔵庫、テレビとCDラジカセ、アイロンとジューサーくらいだった。洗濯機はまだ贅沢品で珍しかった。代わりに、掃除、洗濯、炊事をするエンプレガーダ・ドメスティカ(お手伝いさん)がいた。 ジューサーがどの家にもあるのは、トロピカルフルーツのジュースのほか、毎日のように焼く甘いケーキや塩味のケーキの生地をこれで撹拌するからだ。
大家族の家には、毎日通いのお手伝いさんが来ていた。友人夫婦も週に何度か掃除と洗濯をしてくれるお手伝いさんを雇っていた。お手伝いさんへの報酬はとても安い。だから、それほどお金持ちでなくても、気軽に雇うことができる。やはりテレジーナに住む義理の伯父夫婦の家には、掃除、洗濯、炊事全てを担当する、住み込みのお手伝いさんがいた。テレジーナ近郊(ブラジル的感覚での近郊)のフロリアーノに住む義理の母は、炊事と掃除は自分でするので、洗濯だけを、週に2度ほど通いのお手伝いさんに頼んでいる。夫はカシアスで一人暮らしをしていた時、食事は外食、掃除と洗濯を、やはり通いのお手伝いさんに任せていた。そんなわけで、当時知り合ったブラジル人の多くは、お手伝いさん以外、掃除や洗濯がけっこう苦手だ。
どの家にも、ベランダか庭先、あるいは家事室に、洗濯板がはめこまれた流しがあり、そこで洗濯ができるようになっている。滞在中は、毎日時間をみつけてはそこで洗濯をした。お手伝いさんが、私の分も洗濯してあげると言ってくれるのだが、彼女たちに任せると、出来上がりがいつになるかわからないので、自分で洗った。でも、それだけが理由ではなく、日中あまりにも暑いので、水に触れていると、涼しくて気持ちが良かったのだ。
流しにはめこまれた洗濯板は便利だ。流し台も深く、すすぎもしやすい。ブラシに洗濯石けんをつけてそっとこすると、あっという間にとてもきれいになる。手で絞るのは大変だが、しっかり絞れなくても、常夏の太陽がすぐに乾かしてくれる。
そういえば、ドイツに来たばかりの80年代半ば頃の洗濯機は、脱水機能がいまひとつで、円筒形のゴミ箱のような脱水機は必需品だった。脱水機でしっかり絞らないと、とても室内には干せなかったのだ。最近のドイツの洗濯機はそれなりに性能はいいが、一昔前の日本の2槽式洗濯機は、とても機能的で素晴しい発明だと思う。(今でもあるのだろうか?)
さて、お手伝いさんは、洗い終えた洗濯物をあまり絞りもしないでロープに吊るす。洗濯物からは、大量の水が音をたてて滴り落ちる。物干のある中庭やテラスは、たちまち水浸し。それを熱帯の太陽がどんどん乾かしてゆく。
洗濯物が乾く頃になって、雨が降ることもある。お手伝いさんによっては、ちょっとくらいの夕立では洗濯物を取りこんでくれない。雨にさらされ、乾いては濡れ、濡れては乾き、洗濯物はようやく取り込まれる。そのせいか、服はとても早く傷む。
以来、ブラジルの北東部へ行くときには、手洗い、手絞り、洗いざらし前提で、服を選んでいる。できれば、洗いやすく、絞りやすい軽い素材の服、早く乾く服、傷みにくい素材、あるいは洗いざらしのほうが味わいが出る服が便利だ。
義理の伯父夫妻の家のお手伝いさんは、家事室にとりこんだ洗濯物が山のようにたまり、誰もが「ねえ、あの服どこ?」と言いだすようになってはじめて、突然アイロンがけを始めていた。Tシャツにも、ジーンズにもアイロンがかけられる。ピシっとアイロンのかけられたTシャツとジーンズは、なんだかおかしい。かといって、洗いざらしのままだと、くしゃくしゃすぎてだめだ。洗濯物をきれいに形を整えて干さないから、Tシャツにアイロンが必要になるのかも。とはいえ、ドイツの一世代昔の主婦たちは、Tシャツから下着からタオルまで、ほとんど全てをロール式のプレス機に通していたっけ。
夫はアイロンがけが得意で、ブラジルにいる時は、外出前にTシャツにアイロンをかけるのが日課だった。旅をする時は、必ずリュックザックにアイロンを入れて持ち歩いていた。ドイツに来たばかりの頃も、熱心にTシャツにアイロンをかけていたが、私がTシャツの形を整えて干すので、ある時アイロンがけが必要ないことに気がついた。今では、洗いざらしのTシャツとジーンズで外出するようになった。
ARCHIV
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2003年の春から夏にかけての約3ヶ月、マラニョン州のカシアス市(人口15万人)とピアウイ州の州都テレジーナ市(人口82万人)で暮らした。どちらも、赤道にとても近い街だ(南緯5度くらい)。それぞれの街では、友人宅にお世話になった。もう、10年ちかく前のことになる。
カシアスでお世話になったのは、大家族の家だった。熟年夫婦とその娘たち3人と息子1人、次女の娘と婚約者、そして母方の両親の総勢10人。末娘のマリレーヌが姉の部屋に移動し、私のために部屋をあけてくれた。テレジーナでは友人夫婦の家に同居させてもらった。
当時、カシアスやテレジーナのごく普通の家庭に揃っている電化製品は、冷蔵庫、テレビとCDラジカセ、アイロンとジューサーくらいだった。洗濯機はまだ贅沢品で珍しかった。代わりに、掃除、洗濯、炊事をするエンプレガーダ・ドメスティカ(お手伝いさん)がいた。 ジューサーがどの家にもあるのは、トロピカルフルーツのジュースのほか、毎日のように焼く甘いケーキや塩味のケーキの生地をこれで撹拌するからだ。
大家族の家には、毎日通いのお手伝いさんが来ていた。友人夫婦も週に何度か掃除と洗濯をしてくれるお手伝いさんを雇っていた。お手伝いさんへの報酬はとても安い。だから、それほどお金持ちでなくても、気軽に雇うことができる。やはりテレジーナに住む義理の伯父夫婦の家には、掃除、洗濯、炊事全てを担当する、住み込みのお手伝いさんがいた。テレジーナ近郊(ブラジル的感覚での近郊)のフロリアーノに住む義理の母は、炊事と掃除は自分でするので、洗濯だけを、週に2度ほど通いのお手伝いさんに頼んでいる。夫はカシアスで一人暮らしをしていた時、食事は外食、掃除と洗濯を、やはり通いのお手伝いさんに任せていた。そんなわけで、当時知り合ったブラジル人の多くは、お手伝いさん以外、掃除や洗濯がけっこう苦手だ。
どの家にも、ベランダか庭先、あるいは家事室に、洗濯板がはめこまれた流しがあり、そこで洗濯ができるようになっている。滞在中は、毎日時間をみつけてはそこで洗濯をした。お手伝いさんが、私の分も洗濯してあげると言ってくれるのだが、彼女たちに任せると、出来上がりがいつになるかわからないので、自分で洗った。でも、それだけが理由ではなく、日中あまりにも暑いので、水に触れていると、涼しくて気持ちが良かったのだ。
流しにはめこまれた洗濯板は便利だ。流し台も深く、すすぎもしやすい。ブラシに洗濯石けんをつけてそっとこすると、あっという間にとてもきれいになる。手で絞るのは大変だが、しっかり絞れなくても、常夏の太陽がすぐに乾かしてくれる。
そういえば、ドイツに来たばかりの80年代半ば頃の洗濯機は、脱水機能がいまひとつで、円筒形のゴミ箱のような脱水機は必需品だった。脱水機でしっかり絞らないと、とても室内には干せなかったのだ。最近のドイツの洗濯機はそれなりに性能はいいが、一昔前の日本の2槽式洗濯機は、とても機能的で素晴しい発明だと思う。(今でもあるのだろうか?)
さて、お手伝いさんは、洗い終えた洗濯物をあまり絞りもしないでロープに吊るす。洗濯物からは、大量の水が音をたてて滴り落ちる。物干のある中庭やテラスは、たちまち水浸し。それを熱帯の太陽がどんどん乾かしてゆく。
洗濯物が乾く頃になって、雨が降ることもある。お手伝いさんによっては、ちょっとくらいの夕立では洗濯物を取りこんでくれない。雨にさらされ、乾いては濡れ、濡れては乾き、洗濯物はようやく取り込まれる。そのせいか、服はとても早く傷む。
以来、ブラジルの北東部へ行くときには、手洗い、手絞り、洗いざらし前提で、服を選んでいる。できれば、洗いやすく、絞りやすい軽い素材の服、早く乾く服、傷みにくい素材、あるいは洗いざらしのほうが味わいが出る服が便利だ。
義理の伯父夫妻の家のお手伝いさんは、家事室にとりこんだ洗濯物が山のようにたまり、誰もが「ねえ、あの服どこ?」と言いだすようになってはじめて、突然アイロンがけを始めていた。Tシャツにも、ジーンズにもアイロンがかけられる。ピシっとアイロンのかけられたTシャツとジーンズは、なんだかおかしい。かといって、洗いざらしのままだと、くしゃくしゃすぎてだめだ。洗濯物をきれいに形を整えて干さないから、Tシャツにアイロンが必要になるのかも。とはいえ、ドイツの一世代昔の主婦たちは、Tシャツから下着からタオルまで、ほとんど全てをロール式のプレス機に通していたっけ。
夫はアイロンがけが得意で、ブラジルにいる時は、外出前にTシャツにアイロンをかけるのが日課だった。旅をする時は、必ずリュックザックにアイロンを入れて持ち歩いていた。ドイツに来たばかりの頃も、熱心にTシャツにアイロンをかけていたが、私がTシャツの形を整えて干すので、ある時アイロンがけが必要ないことに気がついた。今では、洗いざらしのTシャツとジーンズで外出するようになった。
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