BACK TO HAMBURG 追憶のハンブルク・未知のドイツ
 
 
001「ケリングフーゼン・シュトラーセ駅界隈」

初めてハンブルクを訪れたのは1980年。大学3年の夏休みの時だった。当時、ハンブルク近郊のリューネブルクという、かつて塩の取り引きの中継地点だった街に、ゲーテ・インスティテュートがあり、1ヶ月の夏期講習に参加していた時だ。

早朝のリューネブルクの街の香りは今でもよく覚えている。それは、洗剤と乳製品と焼きたてのパンの匂いが混じったような生活の香りで、今でもときどきハンブルクの街角で、それと全く同じ香りに気づいて、どきっとすることがある。その瞬間、私はいつも30年前のリューネブルクに引き戻されてしまう。香りの記憶の力は凄まじい。

初めてのハンブルクは日帰りで訪れた。8月だったが、天気が悪く、街の第一印象は灰色がかってとっつきにくいものだった。中央駅から市庁舎まで歩き、さらにハンブルクのスカイラインでひときわ存在感のあるミヒャエル教会を目指した。だだっ広い大通りを、ひたすら歩いたことと、肌寒かったことしか覚えていない。せっかく港町に来ていたのに、港を歩いた記憶がない。その前の週末に訪れた、まだ東西に分裂していたベルリンの街の印象があまりにも強烈で、ハンブルクの街がぼんやりとしか見えていなかったのかもしれない。

そして5年後、この街に戻って来ることになった。最初は、U1(地下鉄1号線)のランゲンホルン・マルクト(Langenhorn Markt)という駅から、歩いて5分ほどのところにある、ちいさな家の屋根裏に下宿した。屋根に大きな天窓が取り付けられていたが、それを押しあげても、見えるのは空ばかり。椅子の上にのっかって、ようやく周囲の景色が見渡せた。

1階には、女主人が住み、2階は全く使われていなかった。あてがわれた3階の屋根裏は一間で、キッチンはなく、洗面台と冷蔵庫とポータブルレンジがあるだけだった。大した料理はできないので、来る日も来る日も、殻付きの茹でた北海の小海老、ニシンの塩漬け、野菜や果物、パンといった、料理しなくてもすむ、北ドイツの昔の静物画の題材のようなものばかりを買って来ては食べていた。

この下宿にはシャワールームがなく、毎日、近所の友人夫婦の家でお風呂を借りた。友人のいない日には、ケリングフーゼン・シュトラーセ(Kellinghusenstrasse)駅前の室内プール、「ホルトフーゼンバード(Holthusenbad)」の公衆浴場に行った。当時、この美しいプールの地下には、薄暗い独房のような小部屋がずらりと並んでいて、そこがドイツ式の個室銭湯になっていた。当時は風呂がない家庭も多かったのだろう。利用客は意外と多く、ほとんどが老人だった。デイ・スパとかウェルネスなんて言葉がまだなかった時代の、今から思えばとても不便な生活。でも、あの頃はそんな不便を厭わないくらい若かった。

そんなわけで、私にはこのプールの建物がいまだに銭湯に見えてしまう。今では銭湯はなくなり、洒落たウェルネス施設が整い、大きな帆立貝のかたちのソルトバスに浸かってリラックスすることもできる。フローティングと言って、30分で30ユーロだそうです。

ケリングフーゼン・シュトラーセはとても便利な駅。U1とU3(地下鉄1号線と3号線)そして、Sバーン(郊外電車)が乗り入れている。この駅を降りて、ホルトフーゼンバードの方向へ出て、プールの前を通り過ぎ、ちょっと歩くと、エッペンドルファー・ラントシュトラーセ(Eppendorfer Landstrasse)に辿り着く。この界隈のちょっぴりレトロな場所、それは美味しいアルトビールが飲める、居心地の良いビール酒場「ブロスピーカー(Brospieker)」と、コンディトライ・カフェ「リントナー(Lindtner)」。どちらも一昔前のハンブルクを思い起こさせてくれる、時間が止まったような空間だ。
 
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