BACK TO HAMBURG 追憶のハンブルク・未知のドイツ
 
 
006「赤ちょうちんからKAMPAIへ ハンブルガーベルグ」

今から17年ほど前、日本人とドイツ人のコミック作家の取材に同行して、歓楽街として世界的に有名なレーパーバーン(Reeperbahn)界隈をくまなく歩いたことがあった。その時に、ハンブルガーベルク(Hamburger Berg)という名の通りを何度も行き来した。

通りにある「ツム・ゴールデネン・ハンドシュー(金のグローブ)」は、取材という名目でもない限り、とても一人では入れないような酒場だった。1ヶ月の取材が終わる頃、私は1人でも、自在にこの地域を歩けるようになっていた。

ハンブルガーベルク。直訳するとハンブルクの山。レーパーバーンの脇道のひとつで、ここに榎本五郎さんの店がある。「SUSHI BAR KAMPAI」というカウンターだけの小さな寿司屋だ。ちなみにレーパーバーンとはロープ用のレーンのこと。かつて、ここで船舶用のロープが作られていたそうだ。

ハンブルクに長年住んでいる日本人のあいだで、榎本さんのことを知らない人はほとんどいないだろう。彼は80年代から90年代にかけて、ホーエルフト(Hoheluft)地区で「ヤーパン・シュトウーブヒェン(Japan Stübchen)」(日本の小部屋)という和食レストランを開業しておられた。表に大きな赤い提灯が吊るされていたので、日本人はこのレストランのことを親しみをこめて「赤ちょうちん」と呼んでいた。中には、私のように「赤ちょうちん」がレストラン名だと思い込んでいた人も多いだろう。学生にも人気の、庶民的な雰囲気の店だった。

榎本さんは、その後も、レストラン業を続けておられたが、私がしばらくハンブルクを離れていたこともあって、彼がその後どこで店をやっているのか、わからずじまいになっていた。ところが、今年になって、友人を通じて、彼が寿司バーを開業しておられることを知った。あの「金のグローブ」のある筋だ。懐かしさがつのって、早速訪ねてみた。

榎本さんは、「赤ちょうちん」時代、数えるほどしか店に行ったことのない私のことを覚えていてくださった。新宿のゴールデン街の飲み屋を思わせるような小さなスペースのカウンターの中で、寿司から揚げ物まで、すべてを一人でこなす榎本さん。開店間もなく、テイクアウトの人の行列ができる。

榎本さんの仕事が一段落し、お寿司をいただいた後で、いろいろな話をした。その時、彼が本を書いておられることを知った。彼がドイツで出会った人たちを描写した物語だという。「ぜひ、読んでみたい!」そう言って店を出た。

次に彼の店を訪れたとき、活字になって、きれいに綴じられた原稿をいただいた。表紙には「ドイツの八つぁん熊さん」とある。中には魅力的なタイトルの小さなお話が沢山詰まっている。さっそくその日のうちに読み始め、とまらなくなって、明け方に読み終えた。榎本さんのドイツでの30年が凝縮された、宝物のようなお話ばかりだった。飲食店を経営することで、榎本さんは、エリートビジネスマンから失業者まで、著名人から酔っぱらいまで、あらゆる階層のドイツ人と外国人に出会い、時には深く関わられた。同じハンブルクでも、榎本さんの視点からのハンブルクは、私が知りえたハンブルクの何倍も広く深い。榎本さんには、もっともっとお話を書いていただきたい。

榎本さんの書かれた作品が、埋もれてしまうことなく、何らかの形で、広く読まれることを願っている。
 
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