BACK TO HAMBURG 追憶のハンブルク・未知のドイツ
真冬のハイリゲンガイストフェルト、普段は何もない場所
年に3度やってくる「ハンブルク大聖堂」という名の移動遊園地
ハンブルガー・ドームは北ドイツ最大のフォルクスフェスト(国民のお祭り)
013「移動遊園地が降りて来る ハイリゲンガイストフェルド」
それまで何もなかった、だだっ広い空き地に、突然舞い降りてくるー。そんな風に、移動遊園地、ハンブルガー・ドーム(Hamburger Dom)はやってくる。この街に暮らしていると、この「舞い降りてくる」という感覚がよくわかると思う。実際には、遊園地は何日もかけて設営されているのだが、なぜかある日突然降りてきた、という感じがしてしまう。移動遊園地の魔法かもしれない。
移動遊園地、と訳してみたものの、このイヴェントはフォルクスフェスト(Volkefest)と呼ばれる伝統ある国民のお祭りだ。ドイツ最大のフォルクスフェストは、おなじみミュンヘンのオクトーバーフェスト。ハンブルガー・ドームは北ドイツ最大規模のお祭りと言われ、1948年以来、毎年、春、夏、冬にそれぞれ1ヶ月ずつ開催され、年間900万人が訪れる。その会場となっている広場がハイリゲンガイストフェルド(Heiligengeistfeld)だ。
ハイリゲンガイストフェルド、聖霊広場。聖霊が目に見えないように、普段この場所には何もない。広場の隅の方には、先頃ブンデスリーガ入りを果たした、サッカーチーム、ザンクト・パウリのスタジアムがあり、その近くに、ヨーロッパ最大級の防空壕があるだけだ。でも、移動遊園地が近づき、各地からトラックが集まってきて、祭りの予感がしはじめると、広場は息を吹き返す。そう、まるで聖霊が降臨するようにー。
この広場のことを考えるとき、必ず思い出す素敵な写真がある。ビートルズの初期の姿を写真に定着させた女流カメラマン、アストリット・キルヒヘアが、初めて彼らを撮影した写真の数々だ。彼女は、移動遊園地が降りてきたハイリゲンガイストフェルドを撮影場所に選んだ。祭りは夕刻から夜にかけて。アストリットは、まだ眠っている真昼の遊園地で、トラックや荷車を背景に、当時5人いた面々を撮影した。
ところで、ハンブルガー・ドームの起源は、ドーム(大聖堂)という名前が暗示しているように、教会と関係がある。11世紀頃、ハンブルクのマリエン・ドームという大聖堂の中では、あらゆる商人や職人たち、さらには見せ物師たちが、寒さや風雨を凌ぐために集まり、商売をしていたそうだ。
しかし14世紀になると、大司教が、教会の中の秩序が乱れるのを嫌い、彼らを立ち入り禁止にしてしまった。しかし、ハンブルク市民たちは、庶民の伝統が失われることに抗議、結局大司教は「ハンブルク特有の悪天候の日に限って」彼らの出入りを認めることになったという。当時は、12月になると毎日にように雨が降ったというから、クリスマスシーズンの大聖堂内の賑わいは大変なものだっただろう。
しかし、1804年、老朽化を理由に大聖堂が解体されると、商人も見せ物師たちも、ハンブルクの市街地へと分散してゆき、長い間、まとまった商売の場を持つことはなかった。1900年になってようやく、彼らに現在の会場であるハイリゲンガイストフェルドが割り当てられることになり、お祭りとして定着したのである。しばらくすると、ジェットコースター、電動・電飾つきのメリーゴーランド、そして観覧車といった移動遊園地に欠かせないアトラクションが登場するようになった。
当初、ハンブルガー・ドームは冬場だけの営業だったが、戦後になって夏、さらには春にも開催されるようになった。冬が本来の大聖堂市、夏はフンメルのお祭り(フンメルは19世紀前半に実在したハンブルクの有名な水運び人)、春は春祭りがそれぞれの由来だという。今日では、16万平米の広大な敷地に、3,3キロメートルに及ぶ大通りが形作られ、260もの興業者が参加している。ドイツ各地の郷土料理、高さ50メートルの大観覧車、ハイテクを駆使した多彩な乗り物、昔ながらの射撃ゲーム屋、砂糖菓子屋などがひしめきあっている、大人も子供も楽しめるお祭りだ。
(かつてドイツ・ニュースダイジェストに掲載した記事「移動遊園地が降りてくる」に加筆しました。)
これからのハンブルガー・ドームのスケジュールは以下の通り。
冬のドーム 2010年11月5日から12月5日まで
春のドーム 2011年3月25日から4月25日まで
著作権の関係で、アストリット・キルヒヘアの写真はこのサイトに掲載できませんが、エージェントのサイトで、その一例をご覧いただけます。
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それまで何もなかった、だだっ広い空き地に、突然舞い降りてくるー。そんな風に、移動遊園地、ハンブルガー・ドーム(Hamburger Dom)はやってくる。この街に暮らしていると、この「舞い降りてくる」という感覚がよくわかると思う。実際には、遊園地は何日もかけて設営されているのだが、なぜかある日突然降りてきた、という感じがしてしまう。移動遊園地の魔法かもしれない。
移動遊園地、と訳してみたものの、このイヴェントはフォルクスフェスト(Volkefest)と呼ばれる伝統ある国民のお祭りだ。ドイツ最大のフォルクスフェストは、おなじみミュンヘンのオクトーバーフェスト。ハンブルガー・ドームは北ドイツ最大規模のお祭りと言われ、1948年以来、毎年、春、夏、冬にそれぞれ1ヶ月ずつ開催され、年間900万人が訪れる。その会場となっている広場がハイリゲンガイストフェルド(Heiligengeistfeld)だ。
ハイリゲンガイストフェルド、聖霊広場。聖霊が目に見えないように、普段この場所には何もない。広場の隅の方には、先頃ブンデスリーガ入りを果たした、サッカーチーム、ザンクト・パウリのスタジアムがあり、その近くに、ヨーロッパ最大級の防空壕があるだけだ。でも、移動遊園地が近づき、各地からトラックが集まってきて、祭りの予感がしはじめると、広場は息を吹き返す。そう、まるで聖霊が降臨するようにー。
この広場のことを考えるとき、必ず思い出す素敵な写真がある。ビートルズの初期の姿を写真に定着させた女流カメラマン、アストリット・キルヒヘアが、初めて彼らを撮影した写真の数々だ。彼女は、移動遊園地が降りてきたハイリゲンガイストフェルドを撮影場所に選んだ。祭りは夕刻から夜にかけて。アストリットは、まだ眠っている真昼の遊園地で、トラックや荷車を背景に、当時5人いた面々を撮影した。
ところで、ハンブルガー・ドームの起源は、ドーム(大聖堂)という名前が暗示しているように、教会と関係がある。11世紀頃、ハンブルクのマリエン・ドームという大聖堂の中では、あらゆる商人や職人たち、さらには見せ物師たちが、寒さや風雨を凌ぐために集まり、商売をしていたそうだ。
しかし14世紀になると、大司教が、教会の中の秩序が乱れるのを嫌い、彼らを立ち入り禁止にしてしまった。しかし、ハンブルク市民たちは、庶民の伝統が失われることに抗議、結局大司教は「ハンブルク特有の悪天候の日に限って」彼らの出入りを認めることになったという。当時は、12月になると毎日にように雨が降ったというから、クリスマスシーズンの大聖堂内の賑わいは大変なものだっただろう。
しかし、1804年、老朽化を理由に大聖堂が解体されると、商人も見せ物師たちも、ハンブルクの市街地へと分散してゆき、長い間、まとまった商売の場を持つことはなかった。1900年になってようやく、彼らに現在の会場であるハイリゲンガイストフェルドが割り当てられることになり、お祭りとして定着したのである。しばらくすると、ジェットコースター、電動・電飾つきのメリーゴーランド、そして観覧車といった移動遊園地に欠かせないアトラクションが登場するようになった。
当初、ハンブルガー・ドームは冬場だけの営業だったが、戦後になって夏、さらには春にも開催されるようになった。冬が本来の大聖堂市、夏はフンメルのお祭り(フンメルは19世紀前半に実在したハンブルクの有名な水運び人)、春は春祭りがそれぞれの由来だという。今日では、16万平米の広大な敷地に、3,3キロメートルに及ぶ大通りが形作られ、260もの興業者が参加している。ドイツ各地の郷土料理、高さ50メートルの大観覧車、ハイテクを駆使した多彩な乗り物、昔ながらの射撃ゲーム屋、砂糖菓子屋などがひしめきあっている、大人も子供も楽しめるお祭りだ。
(かつてドイツ・ニュースダイジェストに掲載した記事「移動遊園地が降りてくる」に加筆しました。)
これからのハンブルガー・ドームのスケジュールは以下の通り。
冬のドーム 2010年11月5日から12月5日まで
春のドーム 2011年3月25日から4月25日まで
著作権の関係で、アストリット・キルヒヘアの写真はこのサイトに掲載できませんが、エージェントのサイトで、その一例をご覧いただけます。