BACK TO HAMBURG 追憶のハンブルク・未知のドイツ
 
 
017「ハンブルクという脳」

2004年のはじめから、大切に保管している新聞の切り抜きがある。2004年1月18日付のサンパウロの日刊紙「Fohlha de São Paulo(フォーリャ・ジ・サンパウロ)」の中の、ある1ページだ。

記事は、アメリカのポピュラーサイエンス・ライター、スティーヴン・ジョンソンの「Emergence(創発)」という本の書評とインタビュー記事。私のポルトガル語のレベルでは、その記事はまだ難しくてすらすら読めない。保管しているのは、その記事に添えられた挿画に魅了されたからだ。

原書、あるいはブラジル版の挿画なのだろう。市壁に囲まれた、あるヨーロッパの都市の古い地図。その上方にコラージュされた人間の脳。脳のかたちと、市壁で囲まれたその街の旧市街のかたちは、相似形を成している。

1850年に描かれたものだというその地図が、どの都市のものかはすぐに解った。描かれていたのはハンブルク。ハンブルク市の市壁で囲まれた旧市街が、人間の脳のかたちをしているなんて!

「創発」という言葉は、聞いたことがなかった。通常の辞書には載っておらず、ウィキペディアでしか見つからなかった。以下は、ウィキペディアからの引用。

創発(そうはつ、emergence)とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。

この世界の大半のモノ・生物等は多層の階層構造を含んでいるものであり、その階層構造体においては、仮に決定論的かつ機械論的な世界観を許したとしても、下層の要素とその振る舞いの記述をしただけでは、上層の挙動は実際上予測困難だということ。下層にはもともとなかった性質が、上層に現れることがあるということ。あるいは下層にない性質が、上層の"実装"状態や、マクロ的な相互作用でも現れうる、ということ。

「創発」は主に複雑系の理論において用いられる用語であるが、非常に多岐にわたる分野でも使用されており、時として拡大解釈されることもある。

〈生物学における創発〉 生命は創発現象の塊である。例えば脳は、ひとつひとつの神経細胞は比較的単純な振る舞いをしていることが分かってきているが、そのことからいまだに脳全体が持つ知能を理解するには至っていない。また進化論では、突然変異や交叉による遺伝子の組み合わせによって思いもよらぬ能力を獲得することがある。進化論においては個々の個体による相互作用のほかに、環境との相互作用という側面も加わっている。創発の定義において、このような非対称な要素を認める場合もある。
(以上、ウィキペディア・フリー百科事典から)

これを読んでも、あまりよくわからないのだが、創発とはすなわち、「全体というものは、部分の総合よりも、もっともっと大きく、深く、つかみどころのないもの」、「個々の小さな低いレベルから発生し、それが徐々に上部の大きく高いレベルへと発展する現象」ということだろうか。

ウィキペディアには蟻と、蟻が造るガウディの建築のような、複雑な構造の蟻塚が、自然界における創発の例として挙げられている。すると都市の発展形態も、人間界における創発の例なのだろうか。コンピューターのマザーボードが、碁盤の目のような近代都市の縮小に見えるのも、このことと関係があるのかもしれない。機会があれば、読んでみたい本だ。

でも、私が魅了されたのは、ハンブルクという街が脳のかたちをしているという、その事実につきる。正確には、左を向いている人間の側面から見た脳のかたちをしている。

内アルスター湖は、大脳の頭頂葉のあたり、中央駅は後頭葉のあたりにある。チリハウスやシュプリンクラーホーフがあるのは小脳のあたり、松果体のあたりに市庁舎、視床はアクセル・シュプリンガー広場のあたりだろうか。中脳水道あたりにニコライ運河が流れ、脳幹の橋のあたりには倉庫街、シュパイヒャーシュタットがある。

これまで私は、ハンブルクの脳(旧市街)の、はるか外側にばかり住んでいた。昨年9月に、市内で9回目の引っ越しをした。おそらくこのアパートが、ハンブルクにおける終の住処となるであろう。今度の住まいは、かつて濠に囲まれていた脳の内部、大脳の前頭葉のあたりにある。ハンブルクの脳内に入り込んだことで、この愛すべき街が、これまでとは違った風に見えてくるだろうかー。
 
ARCHIV