BACK TO HAMBURG 追憶のハンブルク・未知のドイツ
 
 
008「ハンブルク地下世界への入口 バウムヴァル」

地下鉄3号線、バウムヴァル(Baumwall)駅。南側の出口は、エルベ川を臨むプロムナードに繋がっており、北側は「シュテルン(Stern)」誌、「ゲオ(Geo)」誌などで知られる出版社、G+J(グルナー+ヤール)社の玄関に繋がっている。

この出版社は、以前はアルスター湖畔にあった。同社が、1987年から1990年にかけて、ハンブルク港を臨むこの場所に、巨大な客船を思い起こさせる新社屋を建設した時には、パリのポンピドー美術館完成時のように、その斬新なデザインが議論の的になった。設計を担当したのは、ミュンヘンの建築家チーム、オットー・シュタイドレ氏ら。彼らの冒険的な造形も、21世紀の今日では、周囲の風景にしっくり溶け込んで見える。

日本の出版関係者が同社を訪れるたび、通訳として何度もこの社屋に入った。打ち合わせの前後に、G+J社の社員は、東洋からの客に社屋を隅々まで見せてくれた。ある社員が「この建物を案内するのは、とても楽しくてね」と言っていたことを思い出す。回廊を歩いていると、本当に客船に乗って旅をしているような気がしたものだ。

同社の前を通過する地下鉄3号線は、高架上を走っている。高架下は舗道となっており、そこに小さな石造りの立派な小屋がぽつんと立っている。公衆トイレかな、と思うほどの大きさ。この小屋がハンブルク地下世界への入口だ。

あれは1993年だったろうか、日本の漫画家の取材の通訳として、このハンブルクの地下世界を少しだけ覗くことができた。地下世界、つまりハンブルクの下水道は、当時ハンブルク市水道局が管理しており(1995年に民営化)、私たちは、用意されたつなぎに合羽、長靴、ヘルメットを着用し、職員の案内で現地へ向かった。

まず職員が小屋に入り、ガスの濃度などを計測。安全が確認できた後、私たちも彼に続いた。小屋を下りたところは、天井も高く、広々とした空間。小屋のガラス窓から差し込む柔らかな日差しが、地下世界の入口を美しく照らしていた。

目の前には下水が運河のように流れており、先に伸びている下水道は、幅およそ5メートル、高さ4メートルほどの楕円形。両側にはプラットホームのような狭い足場がついており、パリの地下鉄駅を縮小したようなつくりだ。

少し先に進むと、本当にメトロ駅の駅名のように、その真上にある地上世界の通りの名が、大きく表示してあった。聞いたことのない、もう地上には存在しない通りの名だった。その名は忘れてしまったのだが、2つの大戦を経て失われてしまった通りの名が、地下世界にはまだこうして刻まれていることを知って、ゾクゾクした。それにしても大変な悪臭で息苦しい。私たちは早々に地上へでた。

ハンブルク市の下水道建設は、1842年に開始された。全長943キロメートル(当時)で、工事は1910年に完成。当時下水道が整っていたのはロンドンだけだったという。ドイツ皇帝フリードリヒ3世(在位1888)や、その後継者となったヴィルヘルム2世(在位1888-1918)らは、下水道がおおかた出来上がったころに、この地下世界をボートで回遊したという。その時、フリードリヒ3世が「下水道内の空気がきれいで驚いた」とコメントしたと伝えられている。案内してくれた職員は、このバウムヴァルの小屋は、皇帝らの下水道見学のために、わざわざ造られた入口だった、と教えてくれた。

 
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