BACK TO HAMBURG 追憶のハンブルク・未知のドイツ
 
 
010「素敵な朝市が立つ通り イーゼシュトラーセ」

イーゼシュトラーセ(Isestrasse)。この通りには7年ほど住んだ。X番地の4階。窓の下を地下鉄3号線が往来し、その騒音が、街が呼吸している音のように聞こえた。うるさいと感じるどころか、その騒音を心待ちにしていたくらいだった。

火曜日と金曜日の早朝には、窓の下に、新鮮な食材を積んだトラックが次々止まり、店開きを始める。その様子をベランダから眺めるのも楽しかった。イーゼマルクト(Isemarkt)と呼ばれているこの朝市は、3号線のホーエルフトブリュッケ(Hoheluftbrücke)駅から、エッペンドルファー・マルクト(Eppendorfer Markt)駅の間の高架下、約1キロにわたってたつ。高架下だから、お天気の悪い日でも、傘なしで買物ができる。ハンブルクに立つ80もの朝市のうちのひとつだが、おそらく、最も規模が大きく、品揃えが豊富な市ではないかと思う。

高架下という場所は、郷愁を誘う。故郷神戸の、JR神戸駅から三宮駅まで、3つの駅を繋ぐ高架下の商店街のことを思い出すからだ。特に神戸駅と元町駅の間のモトコータウンは、常に閉じているシャッターも多く、60年代頃から時間が止まっているような場所。そんな寂れた場所なのに、ここを歩くのが面白いのはなぜだろう。

異国の船乗りが、中古の家電品などを物色していたりして、ふつうの街角からはすっかり失われてしまった陰影や、何かしら秘密めいた雰囲気、いかがわしさ、時が逆戻りして、何か忘れていたものが見つかりそうな予感が、私の心をくすぐるのだろう。

イーゼシュトラーセの高架下は、何もない空間で、普段は駐車場代わりになっている。それが朝市の日になると、両脇に合計200軒もの店がぎっしりと並び、中央の通路がラッシュアワー時のようになる。普段は鳩が飛び交うだけの、忘れ去られたような通路であるだけに、そのコントラストは鮮明だ。

この朝市の顧客は、8割が近隣の住人だそうで、残りは観光客や遠方に住む人たち。火曜日と金曜日とでは、ほんの少しだけ商店の構成が違う。この通りへ越してくる以前も、ここから引っ越してしまった今も、たまに、この市場はのぞいているので、市場を歩く時には、馴染みの店の小さな歴史がさっと頭をよぎる。世代交代した店、以前は簡素な売り台だったのに、立派なトラックで来るようになった店、20年近く、全く変わらない店ー。中には、いまだ、私の顔を覚えてくれている売り手もいて、嬉しくなる。

イーゼマルクトの歴史は古く、初めてここに市がたったのは、戦後まもない1949年のこと。当初は40軒でスタートしたという。当時から60年にわたって出店しているのは、エッペンドルファー・バウム寄りにある魚屋フィッシュ・シュロー(Fisch Schloh)やお菓子屋さんのピンゲル(Pingel)など数店。戦後間もない頃のイーゼマルクトは、生活に最低限必要な物資を、市民になるべく安い価格で売るための市だった。現在の、何でも揃う贅沢な市場からは、物資の欠乏していた戦後の市場風景など想像できない。でも、20世紀初頭に造られた、歴史の感じられる高架を見上げると、あたりがだんだんモノクロームになって、少なくとも私の知っている20年前の市場風景は蘇ってくる。

この通りに住んだ7年間は、階段を駆け下りるだけで朝市にたどり着ける、市場が家までやってきてくれる、とても贅沢な7年間、ハンブルクの心臓部、ハンブルクの台所にいたと感じられる7年間だった。

イーゼマルクトの営業時間は、火曜と金曜の8時半から14時まで。
 
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