WINE・WANDERING ワイン彷徨通信
 
 
027「ブラジルワイン紀行 その15 熱帯ワインの挑戦(Botticelli)」

ブラジル、サンフランシスコ川流域地帯「ヴァレ・サンフランシスコ」は、おそらく世界でもっとも新しいワイン生産地のひとつだろう。

ビアンケッティ醸造所からさらに西へ50キロ。ボッティチェリ醸造所はペルナンブコ州にある醸造所のうち、最西に位置する。醸造家のリカルド・アウメイダさん、お母さんのニナさんを始めとする、ご家族の面々が出迎えてくださった。

ボッティチェリ醸造所の前身は1972年創業の農園だ。かつてはミラノ農園(Fazenda Milano)と言われ、ぶどう栽培が中心だった。当初、ワインづくりは、300の農家で構成される協同組合で行われていた。醸造所として本格的にスタートしたのは1984年。所有畑は200ヘクタール近くにおよぶ。

リカルドさんに畑を案内していただいた。畑の周囲には、灌漑用に陸橋のような水路が巡らされ、川から汲み上げられた水がたっぷりと流れていた。栽培方法は、昔ながらの棚式と垣根式の双方。棚式栽培の場合は、スプリンクラーで、棚の上から雨を降らすように水を撒く。垣根式栽培の場合は、フェンスにチューブを渡す点滴灌漑だ。

ボッティチェリ家は、この地域で、最初に灌漑を行った農家だ。農業研究所と協力して、40品種ものぶどうの実験栽培も行っている。ワイン用ぶどうには将来性があるとの判断から、これまでマンゴーや食用ぶどうを生産していた農家が、ワインぶどうの栽培に取り組み始めているという。

赤品種ではカベルネソーヴィニヨン、ルビー・カベルネ、タナ、プチ・シラーなどが主体、白品種はシュナン・ブラン、ソーヴィニヨン・ブラン、モスカート・カネリが中心だ。また、ブラジルでは珍しいジルヴァーナーも少量栽培している。

広大な庭に囲まれた一家の邸宅は、開放的な平屋で、テラスにはハンモックが沢山吊るしてあった。庭から一歩外に出ると、赤茶色の荒れ野が延々と続いているが、灌漑された一家の庭には、青々とした芝生が生えており、とても荒れ野のど真ん中にいるとは思えない。灌漑技術がもたらす恩恵を、こんなにも顕著なかたちで目のあたりにすると、考案し、導入した人々への敬意の気持ちが沸いてくる。

2008年産のモスカートのエスプマンチ(アスティの製法)、そしてシュナン・ブランのブリュット(シャルマ製法)を楽しんでいると、「お食事にしましょう」と、ニナさんの声がかかる。彼女のお気に入りだと言う良く冷えたシュナン・ブランにあわせ、彼女の手料理をいただいた。人参入りのライス、かぼちゃのピュレ、じゃがいものフライ、チキンの煮込み、牛肉のグリル、豆の煮物、そしてたっぷりのサラダ。少し冷やしたカベルネソーヴィニヨンも、果実味が強調されて味わい深いが、トロピカルな気候の下では、つい、きりっと冷えたシュナン・ブランに手が伸びる。

ボッティチェリ醸造所は、完全に成熟したぶどうのピュアなフルーティさを活かすため、オーク樽は一切使用せず、全てステンレスタンクで醸造している。灌漑に100%頼らなければならない熱帯地域でのワイン造りにはもちろん限界がある。たとえば、ぶどうの根が地中深く根付くことは困難だ。しかし、この乾燥地帯はリカルドさんたちにとって、かけがえのない故郷。この地で、今後もあらゆる限界に挑みながら、ワインづくりを行う覚悟はできている。

かつては地元でのみ消費されていたボッティチェリ醸造所のワインが、サンパウロなどの大都市でも注目されるようになったのは2006年頃から。醸造所の本格的スタートから30年、熱帯ワインのクオリティと美味しさが、都会でも、世界でも健闘することを願っている。

(ブラジル編は今回で一区切りとします。アーカイヴ内の記事は古い情報が多いですが、どうかご了承ください。新たな取材も重ねていますので、また時間をみつけてご紹介します。)

 
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