WINE・WANDERING ワイン彷徨通信
 
 
013「ブラジルワイン紀行1 ミオロ醸造所 Miolo」

初めてブラジルのワインを口にしたのは、2003年の2月。サンパウロの友人宅でだった。明日はハンブルクに帰るというその夜、彼が「このワイン、結構いけるんだ」と言ってあけてくれたのが、忘れもしないミオロ、セレッサオ(Miolo Seleção)の赤。カベルネソーヴィニヨン、メルロー、そしてピノ・ノワールのコルチ(アッサンブラージュ)だ。ストレートな果実味のするワインは実に好印象だった。

当時は、将来ブラジルのワイン地方を旅することになるとは思いもしなかった。でも、人生というものはわからないもので、それからちょうど1年後の2004年2月、私は、通訳のダグラスと一緒に、ミオロ醸造所のゲート前に立っていた。

醸造所を設立したのは、ベネチア出身のミオロ家。1897年にブラジルに渡った、初代ジュゼッペ・ミオロさんが、ヴァレ・ドス・ヴィニェドス地方に、30ヘクタールの土地(ロチ43)を得て、まず、ぶどうの栽培をはじめた。その後、同家は3代にわたってぶどう栽培農家だった。ワイナリーの創業は1989年になってから。そして、今日までの20年間に、ブラジルを代表する醸造所のひとつに成長した。

ミオロ醸造所のファーストヴィンテージは1994年産のメルロー。生産量は8000本だったそという。それが、2004年の時点で、すでに年間生産量700万リットルに達していた。また、北東部バイーア州でのワイン造りにも力を入れるほか、南米初の「ワイン・ホテル&スパ、コーダリー(Hotel & Spa do Vinho Caudaríe )」の建設も始まっていた。

ミオロ醸造所のヴァレ・ドス・ヴィニェドス地方のぶどう畑は、現在120ヘクタール。加えて契約農家の畑が計330ヘクタールある。ほとんどが海抜450メートルから600メートルの傾斜地だ。醸造責任者アドリアーノ・ミオロ氏には、世界中のトップワイナリーのコンサルタントとして活躍する、フランスのエノロジスト、ミシェル・ロラン氏(Michel Rolland)がついている。

ブラジルのワイナリーはあるゆる面でハイテクだ。例えば、コンピューター制御の撹拌(ルモンタージュ)装置のついた赤ワイン専用タンク。ぶどうの皮に含まれる色素やタンニンを果汁にゆきわたらせるための撹拌作業は、アルコール発酵中、約15日間かけて行われる。アルコール発酵終了後には、ポリフェノール抽出のため、2度目の撹拌作業を15日から20日かけて行っている。赤ワインの多くは、マセラシオン(醸し発酵)前に、まだ色素のついていない果汁を25%減らして造られる。(この果汁は別のワインに使用、セニエ法という)果汁に対する果皮の割合を多くし、凝縮したワインに仕上げているのだ。圧搾に続くマロラクティック発酵の後は、ステンレスタンク、あるいは、オーク樽で熟成。樽はフレンチオークも使用しているが、大部分はミズーリ州から樹齢150年のオークを輸入し、300リットル容量の樽をブラジルで作らせている。広大な神殿のようなバリックセラーには5000ものオーク樽が整然と並んでいた。

印象的だったのは。かすかなオーク香のする、気高いシャルドネ・リゼルヴァ(2003)。初代ジュゼッペ・ミオロ氏の名を冠した、コクのある「キュヴェ・ジュゼッペ(Cuvée Giuseppe)」(2003/カベルネソーヴィニヨンとメルローを半分ずつ。アメリカンオーク使用)。そして、ミオロ家の最も古い所有畑、「ロチ43(Loti43)」の名を冠した深遠なる赤(2002/カベルネ・ソーヴィニヨンとメルローを半分ずつ)。ロチ43は25バボ(125エクスレに相当)で収穫され、丁寧につくられた逸品だった。

その次にミオロ醸造所の門をくぐったのは、4年後の2008年の8月、世界各国のジャーナリストたちと一緒の旅で、完成した「ワイン・ホテル&スパ、コーダリー」に宿泊した。4年という月日の流れ。醸造所の進化にはめまぐるしいものがあった。ミオロ社は現在、基盤となるミオロ醸造所の他、ロヴァラ醸造所(LOVARA)、RAR醸造所、フォルタレザ・ド・セイヴァル・ヴィンヤード(Fortaleza do Seival Vineyard)、オウロ・ヴェルジ醸造所(Fazenda Ouro Verde)、さらにはチリのヴィア・スル醸造所(VIASUL)などを擁する、企業グループに成長している。2012年までに、年間1200万リットルの生産を目指すそうだ。

オープンして間もない、贅沢で居心地の良いワイン・ホテル&スパの部屋の窓からは、ミオロ醸造所の全景が一望に見渡せる。4年前は一部がまだ工事中だったが、今ではディティールも完成し、一見するとリゾート施設のようだ。醸造所では、セラーを見学した後、2002年、2003年ヴィンテージ以来の、久々のテイスティング。2004年と2005年の代表的なワインを味わった。どのワインにも、味の深化を感じた。

ミオロ醸造所の原点である、移住したばかりの一家が住んでいた古くつましい家は、現在、オステリア・マンマ・ミオロ(Osteria Mamma Miolo)という素朴で庶民的なレストランになっている。醸造所の本部から、緑の庭園を、森に向かって15分くらい歩いたところにある。天井は低く、納屋のようなつくりで、とても居心地がいい。ここに佇んでいると、一気に100年前にタイムスリップしてしまう。さきほど見学した、ハイテクの巨大な醸造所なんて、存在しないのではないかと思えてくる。

ミオロ醸造所が、この建物を改修保存し、イタリアの伝統を継ぐ、気取らないレストランを開いていることを嬉しく思った。原点を忘れず、大切にするという、醸造所の姿勢を感じたからだ。

 
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