WINE・WANDERING ワイン彷徨通信
コチポラにあるジョアン=カルロスの実家の前はこんな素敵な風景
美しく実ったカベルネソーヴィニヨン
糖度を計測するジョアン=カルロス
008「カーヴ・アンチーガ訪問記2」
2008年の夏、私はブラジルワインのコンテストの仕事で、ジョアン=カルロスの醸造所のすぐ近くまで来ていたのだが、スケジュールがいっぱいで、残念ながら訪問はかなわなかった。
初めてジョアン=カルロスの醸造所を訪ねてから、4年ちかく経った2009年の2月、ようやく再会のチャンスが巡ってきた。アルゼンチンのメンドーサへ向かう途中、ベント・ゴンサウヴェスに立ち寄ることができたのである。
日曜日の早朝、私たちの宿泊先に、懐かしい彼がシマラオン(マテ茶)片手にあらわれた。早速彼の車に乗り込み、シマラオンを回し飲みしながら、コチポラのぶどう畑に囲まれた彼の実家に向かう。コチポラは人口4500人ほどの小さな町。かつてはモンチ・ヴェネト(直訳すると山のヴェネト)と呼ばれていたそうで、その名の示す通り、北イタリアのヴェネト地方からやってきた移民たちがつくりあげた町だ。ジョアン=カルロスは3世。ご両親も健在だ。
到着するや、彼の家族に大歓迎された。兄弟姉妹とその家族も集まり、大勢で朝食。昔ながらの釜で焼いたパン、コーヒー、フィガーダ(いちじくのジャム)、ウヴァーダ(ぶどうのゼリー)、素朴な味のクッキー。朝食の間も、シマラオンの回し飲みは続いている。
朝食の後は、家や調度、壁にかけられた昔の写真、広い庭、庭の木々、庭にあるパン焼き釜などを見せてもらった。ジョアン=カルロスはその間、昼のシュラスコの準備に余念がない。4年前のように、羊肉と牛肉に塩をし、慣れた手つきで大きな剣のような串に刺し、立派なシュラスケイロに火を入れて焼き始める。
シュラスコに、熟れたトマトのサラダ、じゃがいものサラダ、ルッコラとハジッチのサラダが添えられる。シンプルで完璧な食事だ。
食後、ジョアン=カルロスと、彼の実家の庭でもある、広大なぶどう園を歩いた。約5ヘクタールの敷地は、入植した彼の祖父母に与えられた区画で、ロチ27(Loti 27)という。今や世界的に知られるようになった、ヴァレ・ドス・ヴィニェドス地域のミオロ醸造所の最高級ワインの名称がロチ43だが、これもミオロ家の先祖に割り当てられた土地の区画の番号だ。
畑では、白品種であるショーンブルガー種とシャルドネ種の収穫が終わったばかりで、赤品種のカベルネソーヴィニヨンとマルセラン(カベルネソーヴィニヨンとグルナッシュの交配種)が見事に熟れていた。ラターダと呼ばれる棚式栽培の畑は、適度な木陰をつくってくれるので、暑い夏も快適だ。「僕のおじいちゃんは、この畑にイザベルなどのアメリカ品種を植えたんだ。どれも樹齢100年くらいになっていたけれど、僕の代で全て植え替えた。植え替えを行ったのは1999年から2000年にかけて。農業研究所(EMBRAPA)で育てている苗木を植えたんだよ」。偉大なワインを生み出したいと願うジョアン=カルロスにとって、ヨーロッパ品種への切り替えは当然の決断だった。
ぶどう園の一角に、樹齢100年のオークの木がそびえている。ジョアン=カルロスのおじいちゃんが、イタリアから持ち運んだ木の実を植えたものだ。オークの大樹に見守られたぶどう園。おじいちゃんは、ジョアン=カルロスたちの努力と奮闘ぶりに天から声援をおくってくれていることだろう。
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2008年の夏、私はブラジルワインのコンテストの仕事で、ジョアン=カルロスの醸造所のすぐ近くまで来ていたのだが、スケジュールがいっぱいで、残念ながら訪問はかなわなかった。
初めてジョアン=カルロスの醸造所を訪ねてから、4年ちかく経った2009年の2月、ようやく再会のチャンスが巡ってきた。アルゼンチンのメンドーサへ向かう途中、ベント・ゴンサウヴェスに立ち寄ることができたのである。
日曜日の早朝、私たちの宿泊先に、懐かしい彼がシマラオン(マテ茶)片手にあらわれた。早速彼の車に乗り込み、シマラオンを回し飲みしながら、コチポラのぶどう畑に囲まれた彼の実家に向かう。コチポラは人口4500人ほどの小さな町。かつてはモンチ・ヴェネト(直訳すると山のヴェネト)と呼ばれていたそうで、その名の示す通り、北イタリアのヴェネト地方からやってきた移民たちがつくりあげた町だ。ジョアン=カルロスは3世。ご両親も健在だ。
到着するや、彼の家族に大歓迎された。兄弟姉妹とその家族も集まり、大勢で朝食。昔ながらの釜で焼いたパン、コーヒー、フィガーダ(いちじくのジャム)、ウヴァーダ(ぶどうのゼリー)、素朴な味のクッキー。朝食の間も、シマラオンの回し飲みは続いている。
朝食の後は、家や調度、壁にかけられた昔の写真、広い庭、庭の木々、庭にあるパン焼き釜などを見せてもらった。ジョアン=カルロスはその間、昼のシュラスコの準備に余念がない。4年前のように、羊肉と牛肉に塩をし、慣れた手つきで大きな剣のような串に刺し、立派なシュラスケイロに火を入れて焼き始める。
シュラスコに、熟れたトマトのサラダ、じゃがいものサラダ、ルッコラとハジッチのサラダが添えられる。シンプルで完璧な食事だ。
食後、ジョアン=カルロスと、彼の実家の庭でもある、広大なぶどう園を歩いた。約5ヘクタールの敷地は、入植した彼の祖父母に与えられた区画で、ロチ27(Loti 27)という。今や世界的に知られるようになった、ヴァレ・ドス・ヴィニェドス地域のミオロ醸造所の最高級ワインの名称がロチ43だが、これもミオロ家の先祖に割り当てられた土地の区画の番号だ。
畑では、白品種であるショーンブルガー種とシャルドネ種の収穫が終わったばかりで、赤品種のカベルネソーヴィニヨンとマルセラン(カベルネソーヴィニヨンとグルナッシュの交配種)が見事に熟れていた。ラターダと呼ばれる棚式栽培の畑は、適度な木陰をつくってくれるので、暑い夏も快適だ。「僕のおじいちゃんは、この畑にイザベルなどのアメリカ品種を植えたんだ。どれも樹齢100年くらいになっていたけれど、僕の代で全て植え替えた。植え替えを行ったのは1999年から2000年にかけて。農業研究所(EMBRAPA)で育てている苗木を植えたんだよ」。偉大なワインを生み出したいと願うジョアン=カルロスにとって、ヨーロッパ品種への切り替えは当然の決断だった。
ぶどう園の一角に、樹齢100年のオークの木がそびえている。ジョアン=カルロスのおじいちゃんが、イタリアから持ち運んだ木の実を植えたものだ。オークの大樹に見守られたぶどう園。おじいちゃんは、ジョアン=カルロスたちの努力と奮闘ぶりに天から声援をおくってくれていることだろう。