WINE・WANDERING ワイン彷徨通信
 
 
006「ブラジルのゲーテ」

2001年のはじめに、イスタンブールを旅したとき、素敵なワイン専門店を見つけた。(La Cave/Dünyanin Sarabi)ロンドンやパリにあっても決して不思議ではない重厚な内装、木の階段を登るとサロンのような落ち着いたテイスティングコーナーがある。そして天井まで届く棚いっぱいのワイン! そのほとんどがトルコ産だったように記憶している。その時、1本のボトルが目にとまった。エチケットに「ムスカート・ハンブルク(Muscat Hamburg)」と品種名が印刷されていたからだ。

80年代半ばからハンブルクに住んでいる私は、名前に惹かれて、この未知のトルコ産赤ワインを購入し、大切に持ち帰った。2003年に引っ越したとき、ボトルを処分してしまったので、どの醸造所のワインか、今では知る由もなく、味の記憶も薄れているが、ワイン自体は、さほど印象的なものではなかった。でも、以来、いつの日か美味しいムスカート・ハンブルクに出会いたいと思い続けている。

ジャンシス・ロビンソン著の品種辞典をひもといたが、ムスカート・ハンブルクについての記述はごくわずかだ。別名、ブラック・ハンブルク(Black Hamburg)。大抵は食用で、均質のぶどうが収穫でき、長距離輸送に耐えるとある。フランスでは、シャスラーに次いで、多く生産されている食用ぶどうで、ギリシャ、東欧、オーストラリアでも食用ぶどうとして生産されている。現在、ムスカート・ハンブルクからワインを生産しているのは、東欧のごく一部の醸造所だけだという。

東欧へ旅する機会がないまま、ブラジル通いがはじまったのだが、2005年の春、サンパウロで行われたワインの見本市「エキスポヴィニス(ExpoVinis)」の会場で、サンタ・カタリーナ州、ウルサンガ醸造所(Vitivinícola Urussanga Ltda.)のワインをいくつか試飲した。その中に、ゲーテ(Goethe)という品種名の白ワインがあった。そして、ゲーテ種が、ムスカート・ハンブルク種とカーター(Carter)種のかけあわせであることを知った。また、ムスカート・ハンブルク種が、トロリンガー(スキャヴァ)種とムスカート・アレキサンドリア種のかけあわせであること、カーター種がイザベル種のハイブリッドであることなどを教えてもらった。

イザベル種はアメリカからブラジルにもたらされた赤ぶどう品種で、今でも多くのワインが造られている。そのほとんどが、5リットル入りの大きなボトルに詰められる安価なテーブルワインとなる。一方のトロリンガー種は、ドイツ、ヴュルテンベルク地方で多く栽培されている品種で、ライトな赤ワインとなる。また、ムスカート・アレキサンドリア種はエジプト起源と言われる古い白ぶどう品種だ。ゲーテ種は、もともとアメリカで誕生したらしく、アメリカではロジャース(Rogers)種と呼ばれているそうだ。

ゲーテ種の名前の由来には二説あり、ひとつはワインをこよなく愛した文豪、ヨハン=ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)の名をつけたという説、もうひとつはぶどう栽培、ワイン醸造家で、今日のスロヴェニア、マリボル(Maribor)市のぶどう栽培・ワイン醸造専門学校の初代校長、ヘルマン・ゲーテ(1837-1911)の名をつけたという説だ。サンタ・カタリーナ州はドイツからの移民が多い地域。どちらの説も正しく思えてしまう。

ところで、肝心のムスカート・ハンブルク種だが、その後もいろいろ調べたものの、ハンブルクと名づけられた、その由来はいまだわからずじまいである。しかし、その昔、ハンブルクのエルベ河沿いに、広大なワイン畑があったと想像するのも、楽しいものだ。

ところで、まさに、そのエルベ河を望むハンブルクの高台に、小さなぶどう畑がある。トロリンガー種で有名なヴュルテンベルグ地方にあるシュトウットガルト市のある団体からの、ハンブルク市長への贈り物。ただ、ぶどうは、ムスカート・ハンブルクでもトロリンガーでもなく、フェニックスという白ぶどう品種である。

(この記事は、以前、沖縄の雑誌「ワンダー(Wandar)」に掲載したものに新しい情報を加筆しました。)

 
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