WINE・WANDERING ワイン彷徨通信
 
 
011「カーヴ・アンチーガ訪問記5」

ぶどう畑の算術はとても難しい。例えばブルゴーニュの最上級のピノ・ノワールなら、1ヘクタールあたり30ヘクトリットル程度の果汁を得るのが理想的だといわれる。でもそれは、その土地で長年にわたって培われた、その土地の特別なワインの美味しさの基準だ。

1ヘクタールあたりのぶどう樹が500本程度という、ゆったりした畑もあれば、同じスペースに1万本という密植もある。栽培法、日照時間や降水量、年ごとの気候、土壌構成、品種、接ぎ木の有無とその種類、樹齢、さらには1本のぶどう樹に最終的に残す房の数・・・、無数の要素が、最終的に収穫できるぶどうの量と質を決定する。世界に2つとして同じ畑はなく、2つとして同じ気候はない、そして個々のぶどうも個別の生き物だ。

例えば、栽培法ひとつをとっても、様々な可能性があり、高品質ワインのスタンダードとなっている垣根式栽培であっても、垣根の高さや剪定法、植樹間隔などの細かな要素には、地域や造り手によって様々な工夫があり、一概に論じることができない。

ドイツ、ザール地方のエゴン・ミュラー醸造所の当主、エゴン4世が、かつてこう語っていたのを思い出す。「各々の土地で何十年、何百年かけて培われたシステムには理由があり、環境とのバランスが取れていたはずであり、それをがらりと変えてしまう時には極力慎重にすべきだ」。

ブラジル本来のぶどう栽培法は、イタリア移民がもたらしたものだ。周辺にポプラなどの背の高い木を一定間隔で植え、それを支柱にして組み上げる棚式栽培法は、オリーブの木などを支柱にし、ぶどう棚を作っていたという古代エトルリア人の栽培法の名残りかもしれない。この古式栽培法は、現在のイタリアでは、ほぼ消滅してしまったそうだが、最初の移民がブラジルへと旅立った135年前のイタリアには、まだそのような畑がいくつもあったことだろう。

イタリアの気候に良く似ているというブラジル南部で、定住を始めたイタリア人が、イタリアの伝統的なぶどう栽培法をまずはそのまま実践し、100年の時を重ねて改良していったものー。例えば、ジョアン・カルロスの実家の畑がそうだ。それが近年のワイン産業のグローバル化により、垣根式栽培法に転換せざるを得ない事態となっている。確かに、棚栽培のアメリカ品種からは、美味しいぶどうジュース(ブラジルのコクのあるぶどうジュースは最高!)はできても、現代人をうならせるワインはできない。でも、ブラジルの造り手たちが、なんとかその間をくぐりぬけ、画一化されたワインではなく、例えばヨーロッパに真似のできない、ブラジルらしいワインを産み出していってほしいと願っている。

ところで、北半球に住んでいると、つい何でも北半球の基準で考えてしまい、ワインについても北半球を基準にしていまうのだが、ジョアン=カルロスのワインを飲むたびに、私は、例えば自分の持っているそれぞれの品種のイメージ(そのイメージも、私の限られた試飲体験に基づくもの・・・)が、はらはらと崩れるのを感じる。

例えば、ジョアン=カルロスの2005年のカベルネソーヴィニヨン・グランレゼルヴァ。それは、ブラジルの太陽の恵みそのものだ。彼のカベルネソーヴィニヨンには、自宅消費用も含め3種類あるが、そのいずれもが、程よいフルーティさと爽快なまでの軽やかさを持ち、ボルドーのそれとは全く異質である。「セハ・ガウシャの気候はすごい。ここでは毎年のように、カベルネソーヴィニヨンが完璧に熟してくれる。タンニンも酸味もヨーロッパのそれより柔らかだ」、そうジョアン=カルロスは言う。口に含んだ時に、青いとんがりがなく、沁み入るような柔らかさを感じる。彼のサンジョヴェーゼやマルセラン(カベルネソーヴィニヨンとグレナッシュ・ノワールの交配種)も然り。南半球を、ブラジルを基準にすれば、世界のワインはどう感じられるだろうか?

短い訪問で、今回は収穫には立ち合う余裕はなかったが、次回はコチポラに腰を据えて過ごしたいと願っている。

 
ARCHIV