WINE・WANDERING ワイン彷徨通信
市庁舎前のワインの泉
ベント・ゴンサウヴェス市内の樽型のカトリック教会
ピンク色のカーヴ・アンチーガ
ジョアン=カルロス、醸造所にて
ジョアン=カルロスのサンジョヴェーゼとカベルネソーヴィニヨン
007「カーヴ・アンチーガ訪問記1」
醸造家ジョアン=カルロス・タファレル(João Carlos Taffarel)と出会ったのは、2004年の8月のこと。ドイツで開催された国際ワインコンテストの席でだった。彼との再会のチャンスは、思いがけず早くおとずれた。
2005年、ブラジル南部の、主にドイツ人移民の街を訪ねる旅の途中に、そこから、ブラジル的感覚ではさほど遠くない、ジョアン=カルロスの住む街にも立ち寄ることにしたのである。
4月、サンパウロから長距離バスを乗り継ぎ、ジョインヴィル、ブルーメナウ、ポメロージ、ノヴォ・ハンブルゴ(ニューハンブルク)といったドイツ系の街々を経て、リオ・グランジ・ド・スル州のベント=ゴンサウヴェス市に辿り着いた。到着するや、まず市庁舎前のワインの泉を見に行った。
この街にやってきたのは2回目である。1回目はジョアン=カルロスと出会う前の、2004年の2月、ブラジルワイン協会に招かれての訪問だった。当時、ワインの泉はメンテナンス中だったが、今回は、赤ワイン(着色水)の噴水がしぶきをあげていた。ベント=ゴンサウヴェス市はブラジルワインの中心地で、市門もカトリック教会もワイン樽の形をしている。
ジョアン=カルロスの自宅は市の中心にあった。彼は、農業研究所(EMBRAPA)のスタッフとして働きながら、近郊のファロピーリャ(Farroupilha)で共同運営している醸造所、カーヴ・アンチーガ(Cave Antiga)でワインの生産を担当し、時間の許す限り、醸造所の建物を修復、整備しているところだった。
ジョアン=カルロスは、私を自宅に招き入れると、まずはこれがないと何もはじまらない、という感じで、お茶をいれはじめた。ブラジル南部では、シマラオンと呼ばれるマテ茶を飲む習慣がある。ひょうたんを乾燥させた器に、たっぷりの粉茶を入れて湯を注ぎ、金属製か竹製のストローで回し飲みするお茶だ。味はちょっと苦めに入れた緑茶のよう。入れ方にはコツがあり、葉を一杯に入れたら、器を倒して揺すり、ストローを差す空間をつくってやる。熱湯はストローの根元に向けて少しづつ注ぐ。
1階のガレージには、作り付けの立派なシュラスカリア(バーベキュー用のかまど)があり、彼は、シマラオンを手に、慣れた手つきで火を起こす。その方法だが、まずワインボトルに新聞紙をひねって縄のようにグルグル巻いてかまどの中央に置く。次に、ボトルの周囲に炭をあけて平らにならす。最後にボトルを抜きとり、渦を巻いた新聞紙に着火するというもの。
ジョアン=カルロスは、剣のような串に、あらゆる部位の牛肉や、リングイサと呼ばれるブラジル風ソーセージを刺し、次々に焼いてくれた。リングイサはドイツのソーセージよりも粗びきで、弾力があり、野性味たっぷりだ。肉には、しっかり塩がしてあるのでソースも何もいらない。ジョアン=カルロスのサンジョヴェーゼは最高の組み合わせだ。
カーヴ・アンチーガのワインには、カーヴ・アンティーガとコルディナーノ(Cordignano)の2つのブランドがある。中でも、イタリアのアスティを思わせる、カーヴ・アンティーガのモスカテル・エスプマンチ(モスカテル種のスパークリングワイン)は売れ行きも好調で、自宅にも醸造所に在庫がなく、ジョアン=カルロスが、わざわざ近所のスーパーで買って来てくれた。ブラジルのエスプマンチには、シャンパーニュ製法のものもあるが、主流はシャルマ製法。彼のブラジル版「アスティ」は、残糖値が1リットルあたり60g以下で、本場イタリアのアスティ(90g以下)より甘みが少なく、爽快な飲み心地。また、カーヴ・アンティーガのサンジョヴェーゼもマルセランもカベルネソーヴィニヨンも、フルーティで深みのある美味しい赤だった。
翌日はベント=ゴンサウヴェスから東に車で30分ほどのところにあるファロピーリャの醸造所に連れて行ってもらった。醸造所のあたりは、家もまばらでひっそりしており、青々としたブラジル松がとても美しく、ピンク色に塗られた醸造所の建物が緑の中にひときわ映えている。
ジョアン=カルロスらが、この醸造所の建物を手に入れたのは1997年のこと。とても古びた建物だったので、当初はヴェーリャ・カンティーナ(古いワイン醸造所の意)と名付けていた。内部はいまだ殺風景で、必要最少限のタンクや醸造機器があるだけだった。
ジョアン=カルロスが、研究所での仕事の合間に、自ら栽培するぶどうで本格的なワイン造りを始めたのは、醸造所設立の1998年から。ぶどう畑は、ベント=ゴンサウヴェスの北20キロのコチポラ(Cotiporã)にある実家の畑が約5ヘクタール、南西200キロ、エンクルジリャダ・ド・スル(Encruzilhada do Sul)にある畑が約10ヘクタール(その後、この畑は売却)。赤はカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、サンジョヴェーゼを、白はシャルドネ、モスカテル・アレクサンドリア、ショーンブルガーなどを栽培している。売れ筋のエスプマンチに一番力をいれており、近いうちに、ショーンブルガー種で辛口のエスプマンチをリリースしたいと言っていた。
醸造所で、ジョアン=カルロスのワインをもう一度試飲させてもらった。優れた作り手と、素晴しい時を共有していると、世界の他の醸造所のワインのことを忘れてしまう。彼のワインは、いずれも非の打ちどころなく、とても美味しい。彼は、もっと厳しく評価してほしいと言うのだが、私には批判する材料が見つからなかった。
次は、コチポラにある、ぶどうの実る畑を見に来るから、と約束し、醸造所をあとにした。
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醸造家ジョアン=カルロス・タファレル(João Carlos Taffarel)と出会ったのは、2004年の8月のこと。ドイツで開催された国際ワインコンテストの席でだった。彼との再会のチャンスは、思いがけず早くおとずれた。
2005年、ブラジル南部の、主にドイツ人移民の街を訪ねる旅の途中に、そこから、ブラジル的感覚ではさほど遠くない、ジョアン=カルロスの住む街にも立ち寄ることにしたのである。
4月、サンパウロから長距離バスを乗り継ぎ、ジョインヴィル、ブルーメナウ、ポメロージ、ノヴォ・ハンブルゴ(ニューハンブルク)といったドイツ系の街々を経て、リオ・グランジ・ド・スル州のベント=ゴンサウヴェス市に辿り着いた。到着するや、まず市庁舎前のワインの泉を見に行った。
この街にやってきたのは2回目である。1回目はジョアン=カルロスと出会う前の、2004年の2月、ブラジルワイン協会に招かれての訪問だった。当時、ワインの泉はメンテナンス中だったが、今回は、赤ワイン(着色水)の噴水がしぶきをあげていた。ベント=ゴンサウヴェス市はブラジルワインの中心地で、市門もカトリック教会もワイン樽の形をしている。
ジョアン=カルロスの自宅は市の中心にあった。彼は、農業研究所(EMBRAPA)のスタッフとして働きながら、近郊のファロピーリャ(Farroupilha)で共同運営している醸造所、カーヴ・アンチーガ(Cave Antiga)でワインの生産を担当し、時間の許す限り、醸造所の建物を修復、整備しているところだった。
ジョアン=カルロスは、私を自宅に招き入れると、まずはこれがないと何もはじまらない、という感じで、お茶をいれはじめた。ブラジル南部では、シマラオンと呼ばれるマテ茶を飲む習慣がある。ひょうたんを乾燥させた器に、たっぷりの粉茶を入れて湯を注ぎ、金属製か竹製のストローで回し飲みするお茶だ。味はちょっと苦めに入れた緑茶のよう。入れ方にはコツがあり、葉を一杯に入れたら、器を倒して揺すり、ストローを差す空間をつくってやる。熱湯はストローの根元に向けて少しづつ注ぐ。
1階のガレージには、作り付けの立派なシュラスカリア(バーベキュー用のかまど)があり、彼は、シマラオンを手に、慣れた手つきで火を起こす。その方法だが、まずワインボトルに新聞紙をひねって縄のようにグルグル巻いてかまどの中央に置く。次に、ボトルの周囲に炭をあけて平らにならす。最後にボトルを抜きとり、渦を巻いた新聞紙に着火するというもの。
ジョアン=カルロスは、剣のような串に、あらゆる部位の牛肉や、リングイサと呼ばれるブラジル風ソーセージを刺し、次々に焼いてくれた。リングイサはドイツのソーセージよりも粗びきで、弾力があり、野性味たっぷりだ。肉には、しっかり塩がしてあるのでソースも何もいらない。ジョアン=カルロスのサンジョヴェーゼは最高の組み合わせだ。
カーヴ・アンチーガのワインには、カーヴ・アンティーガとコルディナーノ(Cordignano)の2つのブランドがある。中でも、イタリアのアスティを思わせる、カーヴ・アンティーガのモスカテル・エスプマンチ(モスカテル種のスパークリングワイン)は売れ行きも好調で、自宅にも醸造所に在庫がなく、ジョアン=カルロスが、わざわざ近所のスーパーで買って来てくれた。ブラジルのエスプマンチには、シャンパーニュ製法のものもあるが、主流はシャルマ製法。彼のブラジル版「アスティ」は、残糖値が1リットルあたり60g以下で、本場イタリアのアスティ(90g以下)より甘みが少なく、爽快な飲み心地。また、カーヴ・アンティーガのサンジョヴェーゼもマルセランもカベルネソーヴィニヨンも、フルーティで深みのある美味しい赤だった。
翌日はベント=ゴンサウヴェスから東に車で30分ほどのところにあるファロピーリャの醸造所に連れて行ってもらった。醸造所のあたりは、家もまばらでひっそりしており、青々としたブラジル松がとても美しく、ピンク色に塗られた醸造所の建物が緑の中にひときわ映えている。
ジョアン=カルロスらが、この醸造所の建物を手に入れたのは1997年のこと。とても古びた建物だったので、当初はヴェーリャ・カンティーナ(古いワイン醸造所の意)と名付けていた。内部はいまだ殺風景で、必要最少限のタンクや醸造機器があるだけだった。
ジョアン=カルロスが、研究所での仕事の合間に、自ら栽培するぶどうで本格的なワイン造りを始めたのは、醸造所設立の1998年から。ぶどう畑は、ベント=ゴンサウヴェスの北20キロのコチポラ(Cotiporã)にある実家の畑が約5ヘクタール、南西200キロ、エンクルジリャダ・ド・スル(Encruzilhada do Sul)にある畑が約10ヘクタール(その後、この畑は売却)。赤はカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、サンジョヴェーゼを、白はシャルドネ、モスカテル・アレクサンドリア、ショーンブルガーなどを栽培している。売れ筋のエスプマンチに一番力をいれており、近いうちに、ショーンブルガー種で辛口のエスプマンチをリリースしたいと言っていた。
醸造所で、ジョアン=カルロスのワインをもう一度試飲させてもらった。優れた作り手と、素晴しい時を共有していると、世界の他の醸造所のワインのことを忘れてしまう。彼のワインは、いずれも非の打ちどころなく、とても美味しい。彼は、もっと厳しく評価してほしいと言うのだが、私には批判する材料が見つからなかった。
次は、コチポラにある、ぶどうの実る畑を見に来るから、と約束し、醸造所をあとにした。