WINE・WANDERING ワイン彷徨通信
醸造所エントランス
完璧なまでに整備されたぶどう畑
外界から遮断されたちいさなバリックセラー
小さな醸造所なのに、こんなテイスティングルームが完備
ボスカート・ファミリーとともに
016「ブラジルワイン紀行4 ボスカート醸造所(Boscato)」
初めてボスカート醸造所を訪れたのは、もう6年以上も前、2004年2月のことだった。
ボスカート醸造所は1983年創業の家族経営の醸造所。醸造家のクローヴィス=ロベルト・ボスカートさん、栽培家のヴァルモーア=ジョゼ・ボスカートさん兄弟が立ち上げた。醸造所は新しいが、ぶどう畑は祖先から継いだもので、23ヘクタールほどある。ボスカート家の祖先もイタリア系移民で、1889年からこの地でぶどうを栽培していたという。
クローヴィスさんがハイレベルのワインづくりに取り組みはじめたのは1993年。2004年当時は、お父さんの希望もあって、アメリカ品種を使用した安価なワインも生産しておられたが、ゆくゆくは、国際市場で勝ち抜いてゆける高級ワインだけを生産できるようにしたいということだった。
栽培品種は、当時は赤だけで、カベルネソーヴィニヨン、メルロー、アリカンテ・ブーシュ、そしてアンセロッタの4品種だった。白は近々シャルドネを植える予定だと言う。栽培法は、ほぼ全て垣根式栽培である。クローヴィスさんの当面の目標は、1ヘクタールあたり50ヘクトリットルまで収穫量を抑えることだそうだ。
クローヴィスさんに醸造所を案内してもらった。完璧なまでに掃除のゆきとどいた醸造所。ご自慢は、当時ブラジルに1台しかなかったという、イタリア直輸入の赤ワイン用のフェルメンタドール(発酵用タンク)。容量7500リットル。コンピューター制御で、内部を回転させ、ルモンタージュできるほか、冷却も可能な優れものだ。
彼のワインづくりは、全てのディティールにおいて、完璧なまでに計算しつくされていた。醸造過程にはじまり、ワインの保存、熟成、出荷にいたるまで、細やかな配慮がある。例えば、ボトリングしたワインも、温度15度、湿度60%に調節された、自然光が一切入らないカーヴに保存し、熟成させてから出荷している。ボトル熟成に理想的な条件のカーヴで、さらにワインを「育てて」いるのである。
顧客用の施設も完璧だった。36人収容のテイスティングルームは、醸造学校のように、各テーブルにライトボックスと小さな流しが備え付けられたプロフェッショナルなもの。レストランのキッチンの換気も完璧。キッチンの匂いを、廊下やテイスティングルーム、レストランに漏れさせない空調設備まで整っている。
醸造所を見学させていただいだ後、クローヴィスさんの長女ロベルタさんに畑を案内してもらった。農業エンジニアの彼女は、2000年から醸造所の畑づくりに積極的に参加している。畑はヴァレ・アンタス(アンタスの谷)の海抜780メートルの丘にあった。畑は柵で囲まれており、立派なゲートが備わっている。車でゲートをくぐると、タイヤを洗うための消毒液が溜めてある浅いプールを通過することになる。伝染病などを防ぐための設備だ。
先祖から譲り受けたこの畑には、1995年と2003年にカベルネソーヴィニヨンが植えられた。苗はイタリアから輸入したものだ。イタリアはクローン選別が非常に進んでおり、バクテリアやウイルスに強い、いいクローンが得られるという。
ロベルタさんが、今、夢中で取り組んでいるのが、土壌造りである。土壌に窒素を集めるため。定期的にマメ科植物を植えたり、土壌のバランスを良くするオート麦を植えたりしているほか、自然の雑草もある程度生えるに任せているそうだ。
畑の手入れが最も必要な時期は、9月から12月にかけて。南半球の春から夏にあたる。ブラジルにはフィロキセラに似た害虫が存在し、土壌のバランスを悪くしてしまうという。この害虫にはまだ決定的な対処法がないそうだ。だからこそ、ロベルタさんはこのような害虫に対抗できるバランスの良い土壌を、自然の肥料でつくろうとしているのである。
帰り道、ロベルタさんがアンタス川を見下ろせる場所へ連れて行ってくれた。蛇行する川は、より雄大だが、どこかしらモーゼル川を連想させた。
醸造所に戻り、テイスティング。2002年のカベルネソーヴィニヨンは、ハーバル系の香りの軽快なもの。2000年と2003年のカベルネソーヴィニヨン・レゼルヴァは格段に美味しく、2003年のほうがよりリッチな味わい。2001年のカベルネソーヴィニヨン・グランレゼルヴァは、通常より2週間遅い3月中旬に糖度21バボ(105エクスレ)で収穫。重厚で、プラムやカシスなどのフルーティな味わい。オーク樽の香りも快い。ボスカート醸造所の畑のカベルネソーヴィニヨンのポテンシャルに期待でいっぱいになる。
「このカベルネソーヴィニヨン・グランレゼルヴァは、うちの畑の中でも、土壌の条件が一番良く、日照時間の一番長い区画のぶどうしか使っていない。良い年にしか生産できないクオリティのものなんだ。ポリフェノールとタンニンの含有量も理想的なレベルだよ」クローヴィスさんが言う。彼は、ぶどうの成熟段階における色の変化にも注目しており、ぶどうの成長を多角的に把握しようと努めている。
完璧主義者のクローヴィスさんは、気難しくて、近寄りがたい人だと聞いていたが、そんなことはない。彼もまた、最高のワインを生み出そうとして、そればかり考えている、偉大な造り手のひとりである。
クローヴィスさんとロベルタさんは、彼らの畑のミクロクリマ、および土壌をさらに分析、研究していきたいと考えている。彼らの畑のいくつかの区画は、将来、その努力が実って、ブラジルの特級畑になるかもしれない。
最初の訪問から4年を経た2008年8月、再度醸造所を訪れることができた。ロベルタさんが、しっかりとクローヴィスさんの片腕となって働いておられた。醸造所の清潔さ、畑の完璧さには、さらに磨きがかかっている。畑の規模は14ヘクタールに縮小されて(!)おり、シャルドネも植えられていた。
驚いたのは、2006年に設置されたばかりだという、ボスカート醸造所独自の気象観測ステーションと、全ての畑に設けられた全自動灌漑設備だ。クローヴィスさんたちは、このステーションで、気温、湿度、日照時間、風の動き、土壌の湿度など、刻々と変化するデータを15分間隔で収集し、所有畑のミクロクリマを完璧に把握しようとしている。そして、万が一、水不足に悩まされることがある場合は、灌漑によって、その手助けをするための準備が万端整っている。セハ・ガウシャは局地的な乾燥に悩まされることがあるという。クローヴィスさんは、例えば、ボルドーの偉大なワインを生み出す畑の気象状況なども調べ、自らの畑の気象状況と比較するなど、まるで研究者のようだ。
クローヴィスさんは、完璧に熟成された飲み頃に達し始めて、ようやくワインを市場に出している。この時、味わったのは、2002年のカベルネソーヴィニヨン・グランレゼルヴァ。4年前に訪問した時、2001年ヴィンテージを味わったものだ。そして、2005年のメルローのグランレゼルヴァ。
ボスカート醸造所の蔵では、時の流れが違う。いにしえの時代のように、例えば、6年前に醸造され、ようやく飲み頃に達したワインを、ベストコンディションで味わえることの贅沢さを堪能した。ひとつひとつのワインが、いとおしまれながら、蔵から出されていることに心を打たれた。
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初めてボスカート醸造所を訪れたのは、もう6年以上も前、2004年2月のことだった。
ボスカート醸造所は1983年創業の家族経営の醸造所。醸造家のクローヴィス=ロベルト・ボスカートさん、栽培家のヴァルモーア=ジョゼ・ボスカートさん兄弟が立ち上げた。醸造所は新しいが、ぶどう畑は祖先から継いだもので、23ヘクタールほどある。ボスカート家の祖先もイタリア系移民で、1889年からこの地でぶどうを栽培していたという。
クローヴィスさんがハイレベルのワインづくりに取り組みはじめたのは1993年。2004年当時は、お父さんの希望もあって、アメリカ品種を使用した安価なワインも生産しておられたが、ゆくゆくは、国際市場で勝ち抜いてゆける高級ワインだけを生産できるようにしたいということだった。
栽培品種は、当時は赤だけで、カベルネソーヴィニヨン、メルロー、アリカンテ・ブーシュ、そしてアンセロッタの4品種だった。白は近々シャルドネを植える予定だと言う。栽培法は、ほぼ全て垣根式栽培である。クローヴィスさんの当面の目標は、1ヘクタールあたり50ヘクトリットルまで収穫量を抑えることだそうだ。
クローヴィスさんに醸造所を案内してもらった。完璧なまでに掃除のゆきとどいた醸造所。ご自慢は、当時ブラジルに1台しかなかったという、イタリア直輸入の赤ワイン用のフェルメンタドール(発酵用タンク)。容量7500リットル。コンピューター制御で、内部を回転させ、ルモンタージュできるほか、冷却も可能な優れものだ。
彼のワインづくりは、全てのディティールにおいて、完璧なまでに計算しつくされていた。醸造過程にはじまり、ワインの保存、熟成、出荷にいたるまで、細やかな配慮がある。例えば、ボトリングしたワインも、温度15度、湿度60%に調節された、自然光が一切入らないカーヴに保存し、熟成させてから出荷している。ボトル熟成に理想的な条件のカーヴで、さらにワインを「育てて」いるのである。
顧客用の施設も完璧だった。36人収容のテイスティングルームは、醸造学校のように、各テーブルにライトボックスと小さな流しが備え付けられたプロフェッショナルなもの。レストランのキッチンの換気も完璧。キッチンの匂いを、廊下やテイスティングルーム、レストランに漏れさせない空調設備まで整っている。
醸造所を見学させていただいだ後、クローヴィスさんの長女ロベルタさんに畑を案内してもらった。農業エンジニアの彼女は、2000年から醸造所の畑づくりに積極的に参加している。畑はヴァレ・アンタス(アンタスの谷)の海抜780メートルの丘にあった。畑は柵で囲まれており、立派なゲートが備わっている。車でゲートをくぐると、タイヤを洗うための消毒液が溜めてある浅いプールを通過することになる。伝染病などを防ぐための設備だ。
先祖から譲り受けたこの畑には、1995年と2003年にカベルネソーヴィニヨンが植えられた。苗はイタリアから輸入したものだ。イタリアはクローン選別が非常に進んでおり、バクテリアやウイルスに強い、いいクローンが得られるという。
ロベルタさんが、今、夢中で取り組んでいるのが、土壌造りである。土壌に窒素を集めるため。定期的にマメ科植物を植えたり、土壌のバランスを良くするオート麦を植えたりしているほか、自然の雑草もある程度生えるに任せているそうだ。
畑の手入れが最も必要な時期は、9月から12月にかけて。南半球の春から夏にあたる。ブラジルにはフィロキセラに似た害虫が存在し、土壌のバランスを悪くしてしまうという。この害虫にはまだ決定的な対処法がないそうだ。だからこそ、ロベルタさんはこのような害虫に対抗できるバランスの良い土壌を、自然の肥料でつくろうとしているのである。
帰り道、ロベルタさんがアンタス川を見下ろせる場所へ連れて行ってくれた。蛇行する川は、より雄大だが、どこかしらモーゼル川を連想させた。
醸造所に戻り、テイスティング。2002年のカベルネソーヴィニヨンは、ハーバル系の香りの軽快なもの。2000年と2003年のカベルネソーヴィニヨン・レゼルヴァは格段に美味しく、2003年のほうがよりリッチな味わい。2001年のカベルネソーヴィニヨン・グランレゼルヴァは、通常より2週間遅い3月中旬に糖度21バボ(105エクスレ)で収穫。重厚で、プラムやカシスなどのフルーティな味わい。オーク樽の香りも快い。ボスカート醸造所の畑のカベルネソーヴィニヨンのポテンシャルに期待でいっぱいになる。
「このカベルネソーヴィニヨン・グランレゼルヴァは、うちの畑の中でも、土壌の条件が一番良く、日照時間の一番長い区画のぶどうしか使っていない。良い年にしか生産できないクオリティのものなんだ。ポリフェノールとタンニンの含有量も理想的なレベルだよ」クローヴィスさんが言う。彼は、ぶどうの成熟段階における色の変化にも注目しており、ぶどうの成長を多角的に把握しようと努めている。
完璧主義者のクローヴィスさんは、気難しくて、近寄りがたい人だと聞いていたが、そんなことはない。彼もまた、最高のワインを生み出そうとして、そればかり考えている、偉大な造り手のひとりである。
クローヴィスさんとロベルタさんは、彼らの畑のミクロクリマ、および土壌をさらに分析、研究していきたいと考えている。彼らの畑のいくつかの区画は、将来、その努力が実って、ブラジルの特級畑になるかもしれない。
最初の訪問から4年を経た2008年8月、再度醸造所を訪れることができた。ロベルタさんが、しっかりとクローヴィスさんの片腕となって働いておられた。醸造所の清潔さ、畑の完璧さには、さらに磨きがかかっている。畑の規模は14ヘクタールに縮小されて(!)おり、シャルドネも植えられていた。
驚いたのは、2006年に設置されたばかりだという、ボスカート醸造所独自の気象観測ステーションと、全ての畑に設けられた全自動灌漑設備だ。クローヴィスさんたちは、このステーションで、気温、湿度、日照時間、風の動き、土壌の湿度など、刻々と変化するデータを15分間隔で収集し、所有畑のミクロクリマを完璧に把握しようとしている。そして、万が一、水不足に悩まされることがある場合は、灌漑によって、その手助けをするための準備が万端整っている。セハ・ガウシャは局地的な乾燥に悩まされることがあるという。クローヴィスさんは、例えば、ボルドーの偉大なワインを生み出す畑の気象状況なども調べ、自らの畑の気象状況と比較するなど、まるで研究者のようだ。
クローヴィスさんは、完璧に熟成された飲み頃に達し始めて、ようやくワインを市場に出している。この時、味わったのは、2002年のカベルネソーヴィニヨン・グランレゼルヴァ。4年前に訪問した時、2001年ヴィンテージを味わったものだ。そして、2005年のメルローのグランレゼルヴァ。
ボスカート醸造所の蔵では、時の流れが違う。いにしえの時代のように、例えば、6年前に醸造され、ようやく飲み頃に達したワインを、ベストコンディションで味わえることの贅沢さを堪能した。ひとつひとつのワインが、いとおしまれながら、蔵から出されていることに心を打たれた。