WINE・WANDERING ワイン彷徨通信
バッカスの泉
2004年当時の醸造責任者、アントニオ・クツァルノバイさん
農家から収穫されたぶどうがケースで搬入される
セラーの一角
022「ブラジルワイン紀行 その10 アウロラ醸造所(Cooperativa Vinicola Aurora)」
アウロラは共同組合形態の醸造所である。現在、1300の提携農家から購入したぶどうでワインを生産しており、年間生産量は3800万リットル、その規模はブラジル最大だ。
2004年2月、初めて醸造所を訪れた。ベント・ゴンサウヴェスの街角を3ブロックも占めるほどの大きさ。郊外には、実験用のぶどう畑やワインテクノロジー・センターも所有しているという。ワイナリーには、観光客用の見学コースもあり、年間を通じ、15万人の観光客が訪れると言う。常時15人のツアーガイドを雇っているほど、この見学コースは盛況だ。見学コースに含まれるロビーには、バッカスの泉があり、赤ワイン(着色水)がこんこんと湧いていた。
アウロラ醸造所がスタートしたのは、1931年のこと。16のぶどう栽培農家が一緒にワインを醸造しようと事業をおこしたのがはじまりだ。同社は現在、ワイン醸造テクノロジーにおいて、栽培技術において、そして環境保護技術においての研鑽を積み、人間の生活向上に貢献するという目的を持つ大企業に成長した。ワインにおいては、大衆向けのものから、ハイクオリティのものまで、あらゆる嗜好にあわせた商品を展開している。
醸造されているワインのバラエティは30を越える。取材当時、醸造責任者だったアントニオ・クツァルノバイさんは、できるだけ多くテイスティングしてほしいと、20種あまりのワインを用意してくださった。そして、この広範にわたるテイスティングによって、私はブラジルワインの現状を理解することができた。アントニオさんは、全てのワインを私と一緒にテイスティングし、いろいろなことを教えてくださった。
今なお、多くの醸造所が生産している、5リットルのガラファオン(壷)入り大衆ワインの味を知ったのはいい経験だった。自分では決して買わないワインなので、いつかその味を知りたいと思っていたのだ。イザベル、セイベル、ボルド、ヨーク・マデラといった品種からつくられる赤ワイン、ナイアガラ、コーデルクからつくる白ワインは、ひと昔前に好まれた、べったりとした味のワインだが、品質はとても良かった。現在ブラジルの家族経営の醸造所は、このようなアメリカ品種による大衆ワインづくりから、ヨーロッパ品種を使った高級ワインづくりへと、すこしづつ転向しつつあるところだ。
アウロラ醸造所の場合、安価なワインと高価なワインの中間商品、つまりスーパーで気軽に買える手頃な値段のワインも多く生産している。例えば、サン・ジェルマン、マルクス・ジェームスといったブランドのとてもポピュラーなワインだ。北東部の田舎などでは、いいワインが手にはいらない。そんな時、スーパーにならぶマルクス・ジェームスは、いつも安心して飲むことができた。
「ブラジルでは単一品種のワインづくりが流行っているが、いいアッサンブラージュがない。僕たちはもっといいアッサンブラージュを研究すべきだ」、そうアントニオさんは言う。彼は、ボルドーやローヌのワインを夢に描いているようだった。
テイスティングしたなかでは、シャルドネが突出していた。2003年のアウロラ・レゼルヴァのシャルドネである。またメルローが傑出していた。こちらは1999年のものだ。2001年から展開しているカルメネールも、果実味が豊かで飲んでいて楽しい。
エスプマンチは、シャルマ製法のものとシャンパーニュ製法のものの両方を生産している。シャルマ製法のアウロラ・ブリュットはシャルドネ100%、シャンパーニュ製法のアウロラ・シャンパノワーズはピノノワール30%、シャルドネ70%。シャルドネのベースワインの一部はフレンチオーク仕立てである。ただ、売れ筋は今なお、甘口のエスプマンチ。アウロラ醸造所でも、モスカテルから造られるエスプマンチがよく売れている。
アウロラ醸造所では、70年代にすでにメルローとカベルネフランを扱っており、80年代になって、ピノ・ノワール、カベルネソーヴィニヨン、ゲヴュルツトラミーナ、シャルドネ、ピノブラン、ソーヴィニヨンブランなどが加わった。最後にビデオ映写室で、解説ビデオを見てから、醸造所をあとにした。
その後も、アントニオさんと度々出会う機会があった。翌2005年には、ドイツで行われた国際ワインコンテストの際に再会した。そして、2008年には、アウロラ醸造所を再訪することもができたが、その後まもなく、アントニオさんがアウロラ醸造所を退職なさったという話を聞いた。そして2009年、ブラジル北東部の熱帯地域のワイナリーを訪問したとき、そのグループにアントニオさんがおられ、偶然再会することができた。アウロラを退職した後に、独立し、醸造コンサルタントとして活躍しておられるという。アントニオさんの持つ、ワイン造りの知恵が、アウロラ醸造所だけに留まらず、これからは、もっと多くの醸造家たちに共有されるようになる。それはとても嬉しい出会いだった。
ARCHIV
アウロラは共同組合形態の醸造所である。現在、1300の提携農家から購入したぶどうでワインを生産しており、年間生産量は3800万リットル、その規模はブラジル最大だ。
2004年2月、初めて醸造所を訪れた。ベント・ゴンサウヴェスの街角を3ブロックも占めるほどの大きさ。郊外には、実験用のぶどう畑やワインテクノロジー・センターも所有しているという。ワイナリーには、観光客用の見学コースもあり、年間を通じ、15万人の観光客が訪れると言う。常時15人のツアーガイドを雇っているほど、この見学コースは盛況だ。見学コースに含まれるロビーには、バッカスの泉があり、赤ワイン(着色水)がこんこんと湧いていた。
アウロラ醸造所がスタートしたのは、1931年のこと。16のぶどう栽培農家が一緒にワインを醸造しようと事業をおこしたのがはじまりだ。同社は現在、ワイン醸造テクノロジーにおいて、栽培技術において、そして環境保護技術においての研鑽を積み、人間の生活向上に貢献するという目的を持つ大企業に成長した。ワインにおいては、大衆向けのものから、ハイクオリティのものまで、あらゆる嗜好にあわせた商品を展開している。
醸造されているワインのバラエティは30を越える。取材当時、醸造責任者だったアントニオ・クツァルノバイさんは、できるだけ多くテイスティングしてほしいと、20種あまりのワインを用意してくださった。そして、この広範にわたるテイスティングによって、私はブラジルワインの現状を理解することができた。アントニオさんは、全てのワインを私と一緒にテイスティングし、いろいろなことを教えてくださった。
今なお、多くの醸造所が生産している、5リットルのガラファオン(壷)入り大衆ワインの味を知ったのはいい経験だった。自分では決して買わないワインなので、いつかその味を知りたいと思っていたのだ。イザベル、セイベル、ボルド、ヨーク・マデラといった品種からつくられる赤ワイン、ナイアガラ、コーデルクからつくる白ワインは、ひと昔前に好まれた、べったりとした味のワインだが、品質はとても良かった。現在ブラジルの家族経営の醸造所は、このようなアメリカ品種による大衆ワインづくりから、ヨーロッパ品種を使った高級ワインづくりへと、すこしづつ転向しつつあるところだ。
アウロラ醸造所の場合、安価なワインと高価なワインの中間商品、つまりスーパーで気軽に買える手頃な値段のワインも多く生産している。例えば、サン・ジェルマン、マルクス・ジェームスといったブランドのとてもポピュラーなワインだ。北東部の田舎などでは、いいワインが手にはいらない。そんな時、スーパーにならぶマルクス・ジェームスは、いつも安心して飲むことができた。
「ブラジルでは単一品種のワインづくりが流行っているが、いいアッサンブラージュがない。僕たちはもっといいアッサンブラージュを研究すべきだ」、そうアントニオさんは言う。彼は、ボルドーやローヌのワインを夢に描いているようだった。
テイスティングしたなかでは、シャルドネが突出していた。2003年のアウロラ・レゼルヴァのシャルドネである。またメルローが傑出していた。こちらは1999年のものだ。2001年から展開しているカルメネールも、果実味が豊かで飲んでいて楽しい。
エスプマンチは、シャルマ製法のものとシャンパーニュ製法のものの両方を生産している。シャルマ製法のアウロラ・ブリュットはシャルドネ100%、シャンパーニュ製法のアウロラ・シャンパノワーズはピノノワール30%、シャルドネ70%。シャルドネのベースワインの一部はフレンチオーク仕立てである。ただ、売れ筋は今なお、甘口のエスプマンチ。アウロラ醸造所でも、モスカテルから造られるエスプマンチがよく売れている。
アウロラ醸造所では、70年代にすでにメルローとカベルネフランを扱っており、80年代になって、ピノ・ノワール、カベルネソーヴィニヨン、ゲヴュルツトラミーナ、シャルドネ、ピノブラン、ソーヴィニヨンブランなどが加わった。最後にビデオ映写室で、解説ビデオを見てから、醸造所をあとにした。
その後も、アントニオさんと度々出会う機会があった。翌2005年には、ドイツで行われた国際ワインコンテストの際に再会した。そして、2008年には、アウロラ醸造所を再訪することもができたが、その後まもなく、アントニオさんがアウロラ醸造所を退職なさったという話を聞いた。そして2009年、ブラジル北東部の熱帯地域のワイナリーを訪問したとき、そのグループにアントニオさんがおられ、偶然再会することができた。アウロラを退職した後に、独立し、醸造コンサルタントとして活躍しておられるという。アントニオさんの持つ、ワイン造りの知恵が、アウロラ醸造所だけに留まらず、これからは、もっと多くの醸造家たちに共有されるようになる。それはとても嬉しい出会いだった。