TRANS・BRASIL ブラジル往復
 
 
002「オサスコ、オーサカ、ホーザ、ボンバ・・・」

「Osasco, Osaka, rosa, bomba, maca ossos do office-curumim...」
パライバ州出身のミュージシャン、シコ・セーザーの「ダンサ(Dança)」という歌にこんなフレーズがある。語呂のいいフレーズを聞くたび、オサスコに住んでいたときのことを思い出す。

2003年の秋から2004年の春先にかけて、オサスコで暮らした。オサスコはサンパウロの西に隣接する街だ。かつてはサンパウロ市に含まれていたが、その後独立した市となった。もともとイタリア移民が設立した街だそうで、イタリア、トリノの近くに同名の村がある。最初に住んだのは、キタウナ駅から徒歩15分くらいのところ。その後すぐ、コマンダント・サンパイオ駅の近くに越した。

いずれもアップダウンが激しい場所で、最初の住まいは心臓破りの坂を越えなければ辿り着けなかった。その次の住まいも、急坂の中腹にあった。下りはよいが、登りはまさに「よじのぼる」という感じ。サンパウロ自体、海抜800メートルの高台につくられた、起伏の激しい大都会だ。故郷神戸の北野坂やハンター坂など、この比ではない。

いずれも庶民的な地域で、70年代の日本の住宅街の雰囲気に通じるものがあった。大きな違いは防犯のための柵である。どの家も、高い塀に囲まれ、窓に、ガレージに、そして入口に鉄格子がはまり、塀の上にはガラスの破片がぎっしり埋め込まれ、さらに防犯用の電線が張り巡らされていたりする。家に帰るということは、その鉄格子の檻の中に入ること。通りによっては、まるで動物園のように檻がずらりと並んでいる街並もあった。この「檻の中」に住むという圧迫感が、住み始めた頃に気持ちを滅入らせた。

お金持ちで、大邸宅や広々とした高層アパートに住めるのであれば、この圧迫感は緩和されるだろう。でも、コンドミニオ・フェイシャード(閉鎖式コンドミニウム)と呼ばれる、高い塀で囲われ、入口でセキュリティチェックを行う、安全圏であるはずの巨大な敷地内の家やアパートでさえ、高い塀やガラスの破片や鉄格子と無縁ではない。当初は、とんでもないところに来てしまったと思った。

オサスコで暮らしていた時は、大抵いつも、プロパンガス売りのトラックが流す音楽で目が覚めた。このテーマ曲が聞こえるたび、日本の住宅地での、竿竹屋やチリ紙交換のトラックの拡声器から流れるおじさんの声を思い出した。目が覚めると、近所のパン屋で、1個10円くらいのふわふわのパンを買う。ほんのちょっと表面がカリっとしたフランス風のパンもあるが、スタンダードなのは、昔の日本の給食に出たコッペパンのような素っ気ないパン。カスタードクリームがのった、懐かしい味の菓子パンもある。ポルトガルの影響だ。

ブラジル(当然!)コーヒーとパン、そしてパパイヤやマンゴーなどのフルーツ、というブラジリアン朝ご飯を食べると、さあ隣町サンパウロへ出勤。サンパウロの通勤地獄については次回に!

 

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