TRANS・BRASIL ブラジル往復
 
 
010「アパレシーダ 巡礼地とEx-voto」

巡礼者(Pilger)という言葉は、ラテン語の「異郷に身を置くこと(peregrinus)」という語がルーツだという。教会ラテン後なら「宗教的な理由で異郷に身を置くこと」。すでに人生の半分以上を異郷で過ごしている私には、親しみを感じる言葉だ。

組織化された宗教には違和感を感じるが、巡礼地、というのは何となく気になる場所だ。本来の意味での巡礼をしたことはないが、バチカン、ポルトガルのファティマ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラといったキリスト教の巡礼地には行ったことがある。数えきれないほど多くの信心深い人々が訪れるこれらの場所には、何か強い磁力を感じる。日本のお寺や神社にも(神社のほうにより強く)似たような磁力を感じる。たとえ観光であっても、ただそこへ辿り着く、そのことだけで、心が洗われるような、清々しい気持ちがする。

友人夫妻からアパレシーダへ行こうと誘われたときも、心が高なった。アパレシーダは、サンパウロとリオ・デ・ジャネイロのちょうど中間に位置する、カトリックの巡礼地で、サンパウロ州内にある。アパレシーダの大聖堂は、バチカンの聖ピエトロ大聖堂に次ぐ大きさだという。ぜひ見たい。

アパレシーダが聖地となったのは、18世紀初頭、近くの川で見つかった聖母像と、それをめぐる奇跡のエピソードのためだ。聖地アパレシーダの公式サイトには、以下のように書かれてあった。

1717年、サンパウロ、およびミナス・ジェライスの総督、ドン・ペドロ・デ・アルメイダ・エ・ポルトガルが、オウロ・プレト(当時はヴィラ・リカといった)に向かう途中、グアラティングエタ村に立ち寄るとのニュースが流れた。村では総督をもてなすため、ドミンゴス・ガルシア、フェリペ・ペドローソ、ジョアン・アウヴェスの3人の漁師が選ばれ、パライバ・ド・スル川へ漁に出る。しかし魚はとれず、3人はポルト・デ・イタグアス(アパレシーダから2kmほど)まで下ってゆく。失望のうちにジョアンが再び網をおろしたら、聖母像の胴部がひっかかった。もう一度網をおろすと、今度は頭部が。両方を布にくるんで、しばらくすると、大漁となった。

聖母像は15年間にわたり、フェリペの自宅に祀られ、近所の人々が祈りに集まるようになった。やがて、その聖母像による奇跡は広く知られるようになり、一家はポルト・デ・イタグアスに祭壇を据えた。(以上、サイト内テキストから)

街中にある、旧教会を訪ねる時間はなかったが、新築の大聖堂を隅々まで歩き、展望台に登り、広大な広場を見下ろした。大聖堂は、ファサードも内部も煉瓦で落ち着いた色調。件の聖母像はテラコッタ製でどっしりとした黒っぽいマントを羽織り、王冠をかぶって、大聖堂の一角の壁の中に納められている。人々は聖母に吸い寄せられるかのように近づき、祈りを捧げている。

アパレシーダの大聖堂で、私が一番心ひかれたのは、地下のEx-voto(エックスヴォト/神への献納品)が集められた博物館のような場所だった。そういえば、サルバドールのボンフィン教会でも、Ex-votoが納められている部屋に圧倒された、ファティマでは、鑞でできたEx-votoを燃やすためのチャペルに魅了された。アパレシーダのEx-votoの量は大変なもので、隙間なくガラスケースに納められ、所狭しと壁に架けられ、天井からも吊るされている。それらの献納品のひとつひとつは、人間の暮らしのありとあらゆるドラマを物語っていた。

「圧力鍋が爆発したのに怪我をしなかったのは、聖母のおかげ」と献納された、壊れた圧力鍋。「夫が、やっと酒を断つことができた」と妻から献納された酒の入ったボトル。「禁煙に成功した」と届けられた煙草。治った腕や、治った足、誕生した子供や結婚した夫婦の写真、念願かなって手に入れたマイホームのミニチュア・・・。膝の故障を抱えていたロナウドが回復した時、お母さんが献納した彼のトリコ(ユニフォーム)もあった。これら献納品は、人間のあらゆる願望と、それに向かっての精進と、やっと手に入れた幸福への感謝の表現だ。

ちいさな幸福、ちいさな成功に、喜びを見いだし、Ex-votoを手に旅をして、漁師が拾った聖母像のところまで、感謝の気持ちを伝えに来る人たち。神頼みするだけでなく、有り難く思う気持ちの集積。巡礼地というのは、そういうところでもあったのだ。そして、有り難く思う気持ちが集まっているからこそ、この地は清々しく感じられるのだろう。
 
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