TRANS・BRASIL ブラジル往復
海藤 司さん。製作中の太鼓と
司さんが生み出した太鼓の数々
タウバテの市場内の、晶子さんのバンカ(売り場)で働くスタッフ
タウバテの市場内には日系のお店が沢山ある
009「タウバテの休日」
サンパウロとリオ・デ・ジャネイロ。近いようで遠い、この2都市間を、かつては鉄道が結んでいた。今では、公共の交通機関は飛行機かバスだけ。その距離はおよそ400キロ。この東京・大阪間みたいな、ブラジルの主要2都市間(実際には、サンパウロ・カンピーナス間も)を超特急列車で結ぶ計画は、サッカー・ワールドカップ開催の2014年あたりが目標だという。ブラジルの成長に、日本の1960年代が重なって見える。
さて、タウバテ(Taubaté)は、サンパウロとリオの中間よりは、ややサンパウロ寄りに位置する人口27万人の街。サンパウロ出身のバンデランチ(ブラジルの奥地で金、ダイアモンド、奴隷などを探し求めた探険者)、ジャック・フェリックスが1639年に拓いた街で、サンパウロ州に属する。タウバテとはインディオの言語で「認知された地域」という意味だという。
ハンブルクで出会った日本人の友人が、現地に住む友人を紹介してくれたので、サンパウロ滞在中のある日、タウバテに足を伸ばした。彼女と知り合わなかったら、生涯、タウバテを訪れることはなかったかもしれない。
サンパウロ、チエテのバスターミナルから、たしか2時間ほど。サンパウロで拠点にしているカラピクイバからチエテまでも、バスや電車を乗り継いだりしていると2時間近くかかるので、タウバテはとても近い場所に感じた。バスターミナルに、海藤一平さんご夫妻が迎えに来てくださった。
一平さんのお母さん、晶子さんは2世(Nisei)。お父さんの司さんは、晶子さんと知り合い、定住を決められた。一平さんは、晶子さんが2世なので、3世(Sansei)となる。一平さんの奥様も、司さんのように、一平さんと出会って、ブラジル定住を決意された。
到着するや、一平さんの家でお昼をご馳走になった。スリッパ代わりにアヴァイアナス(日系移民の履いていた草履をヒントに作られた、ブラジルのブランドHavaianasのお洒落なゴムぞうり)を出してくださったので、裸足になって自宅のようにくつろぎ、「コロニア風焼きそば」をいただいた。炒めた中華そばの上に、野菜炒めをのせ、その上から、鶏がら、出汁、醤油、みりんなどあらゆる旨味のある調味料を加えた、さらさらの「カウド(スープ)」をたっぷりかけていただく、ブラジルの日系ファミリー風アレンジの美味しい焼きそばだ。
ブラジルの日系人たちの口から、このように、よく「コロニア」という単語が出てくる。ヨーロッパでも「コロニアル」という言葉は使われている。でも両者のニュアンスは全く違うように思う。ヨーロッパ人がいう「コロニアル」は、征服者の側に立った使い方で、例えば、彼らが彼の国で建てた建築や家具の様式をコロニアル様式といい、ヨーロッパ圏外の産物である、コーヒーやお茶、きび砂糖、スパイスなどをコロニアル商品といい、そういった商品を売る店をコロニアルショップと呼ぶ。でも、ブラジルで日系人が「コロニア」と言う場合、それは、征服者、非征服者云々でなく、入植した彼らのコロニア、つまり、日系1世たちの社会をさしている。そして、彼らの言う「コロニア」という言葉に、私は、移民たちの労苦と逞しさ、創造力とアイディアの豊かさを感じる。貧困の中、新天地を求めた、ドイツ人やイタリア人など他国の移民1世たちが、彼の地で使う「コロニアル」という言葉も、きっと同じ響きがすることだろう。
大家族と一緒に、おいしく食事をいただきながら、すっかりリラックスしてしまった私たちは、日帰りの予定を撤回し、1泊することにした。そう決めると、身も心も軽やかになり、時間がぐんぐんと伸びはじめた。
午後から、司さんが経営しておられる楽器店&音楽学校を訪ねた。楽器店の奥には、司さんが和太鼓づくりをなさっている工房があり、製作中、あるいは完成した小太鼓、大太鼓が所狭しと並んでいる。階上には防音されたブースがいくつもあり、それぞれのブースでは、マン・ツー・マンでギターやキーボードのレッスンが行われている。司さんご自身も音楽家で、三味線教室を主宰なさっておられ、一平さんをはじめ、海藤ファミリーの面々も、民謡を唄い、三味線、笛、太鼓を奏でる音楽一家だ。また、晶子さんは、タウバテの市場内で、八百屋「AKIKO」を運営しておられ、仕入れ野菜の販売に立たれることもある、逞しくて素敵なお母さんだ。翌日は、タウバテの市場にある晶子さんのお店も訪ね、珍しい野菜についていろいろ教えてもらった。
サンパウロへ戻る前の一時は、司さんの家で過ごした。食卓のそばに仏壇があり、椅子代わりになるタタミの台座が居心地良い。台所からはいい香りがしている。晶子さんの手料理が次々と食卓に並ぶ。ジローの素揚げ、マンジョッキーニャのピュレ、白豆の煮物、ごはん、デンデ油を使用した魚のバイーヤ風、トマトサラダ、マカロニのトマトソース、2世の彼女の演出する食卓は、和食とブラジル料理が程よく調和している。
その後、一平さんに三味線を少し弾いていただいた。ダイナミックな弾き方は、とても現代的。いつかファミリーの舞台を間近で見たいと思った。司さんが「ブラジルはいいよー」としみじみ繰り返される。自らこの国に住むことを選択した彼の言葉には、深い深いこの国への愛情が感じられた。
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サンパウロとリオ・デ・ジャネイロ。近いようで遠い、この2都市間を、かつては鉄道が結んでいた。今では、公共の交通機関は飛行機かバスだけ。その距離はおよそ400キロ。この東京・大阪間みたいな、ブラジルの主要2都市間(実際には、サンパウロ・カンピーナス間も)を超特急列車で結ぶ計画は、サッカー・ワールドカップ開催の2014年あたりが目標だという。ブラジルの成長に、日本の1960年代が重なって見える。
さて、タウバテ(Taubaté)は、サンパウロとリオの中間よりは、ややサンパウロ寄りに位置する人口27万人の街。サンパウロ出身のバンデランチ(ブラジルの奥地で金、ダイアモンド、奴隷などを探し求めた探険者)、ジャック・フェリックスが1639年に拓いた街で、サンパウロ州に属する。タウバテとはインディオの言語で「認知された地域」という意味だという。
ハンブルクで出会った日本人の友人が、現地に住む友人を紹介してくれたので、サンパウロ滞在中のある日、タウバテに足を伸ばした。彼女と知り合わなかったら、生涯、タウバテを訪れることはなかったかもしれない。
サンパウロ、チエテのバスターミナルから、たしか2時間ほど。サンパウロで拠点にしているカラピクイバからチエテまでも、バスや電車を乗り継いだりしていると2時間近くかかるので、タウバテはとても近い場所に感じた。バスターミナルに、海藤一平さんご夫妻が迎えに来てくださった。
一平さんのお母さん、晶子さんは2世(Nisei)。お父さんの司さんは、晶子さんと知り合い、定住を決められた。一平さんは、晶子さんが2世なので、3世(Sansei)となる。一平さんの奥様も、司さんのように、一平さんと出会って、ブラジル定住を決意された。
到着するや、一平さんの家でお昼をご馳走になった。スリッパ代わりにアヴァイアナス(日系移民の履いていた草履をヒントに作られた、ブラジルのブランドHavaianasのお洒落なゴムぞうり)を出してくださったので、裸足になって自宅のようにくつろぎ、「コロニア風焼きそば」をいただいた。炒めた中華そばの上に、野菜炒めをのせ、その上から、鶏がら、出汁、醤油、みりんなどあらゆる旨味のある調味料を加えた、さらさらの「カウド(スープ)」をたっぷりかけていただく、ブラジルの日系ファミリー風アレンジの美味しい焼きそばだ。
ブラジルの日系人たちの口から、このように、よく「コロニア」という単語が出てくる。ヨーロッパでも「コロニアル」という言葉は使われている。でも両者のニュアンスは全く違うように思う。ヨーロッパ人がいう「コロニアル」は、征服者の側に立った使い方で、例えば、彼らが彼の国で建てた建築や家具の様式をコロニアル様式といい、ヨーロッパ圏外の産物である、コーヒーやお茶、きび砂糖、スパイスなどをコロニアル商品といい、そういった商品を売る店をコロニアルショップと呼ぶ。でも、ブラジルで日系人が「コロニア」と言う場合、それは、征服者、非征服者云々でなく、入植した彼らのコロニア、つまり、日系1世たちの社会をさしている。そして、彼らの言う「コロニア」という言葉に、私は、移民たちの労苦と逞しさ、創造力とアイディアの豊かさを感じる。貧困の中、新天地を求めた、ドイツ人やイタリア人など他国の移民1世たちが、彼の地で使う「コロニアル」という言葉も、きっと同じ響きがすることだろう。
大家族と一緒に、おいしく食事をいただきながら、すっかりリラックスしてしまった私たちは、日帰りの予定を撤回し、1泊することにした。そう決めると、身も心も軽やかになり、時間がぐんぐんと伸びはじめた。
午後から、司さんが経営しておられる楽器店&音楽学校を訪ねた。楽器店の奥には、司さんが和太鼓づくりをなさっている工房があり、製作中、あるいは完成した小太鼓、大太鼓が所狭しと並んでいる。階上には防音されたブースがいくつもあり、それぞれのブースでは、マン・ツー・マンでギターやキーボードのレッスンが行われている。司さんご自身も音楽家で、三味線教室を主宰なさっておられ、一平さんをはじめ、海藤ファミリーの面々も、民謡を唄い、三味線、笛、太鼓を奏でる音楽一家だ。また、晶子さんは、タウバテの市場内で、八百屋「AKIKO」を運営しておられ、仕入れ野菜の販売に立たれることもある、逞しくて素敵なお母さんだ。翌日は、タウバテの市場にある晶子さんのお店も訪ね、珍しい野菜についていろいろ教えてもらった。
サンパウロへ戻る前の一時は、司さんの家で過ごした。食卓のそばに仏壇があり、椅子代わりになるタタミの台座が居心地良い。台所からはいい香りがしている。晶子さんの手料理が次々と食卓に並ぶ。ジローの素揚げ、マンジョッキーニャのピュレ、白豆の煮物、ごはん、デンデ油を使用した魚のバイーヤ風、トマトサラダ、マカロニのトマトソース、2世の彼女の演出する食卓は、和食とブラジル料理が程よく調和している。
その後、一平さんに三味線を少し弾いていただいた。ダイナミックな弾き方は、とても現代的。いつかファミリーの舞台を間近で見たいと思った。司さんが「ブラジルはいいよー」としみじみ繰り返される。自らこの国に住むことを選択した彼の言葉には、深い深いこの国への愛情が感じられた。