TRANS・BRASIL ブラジル往復
サンパウロ、インターラゴスからさほど遠くない南部地区で。ここはファヴェーラなのだろうか
ここもインターラゴスに近い住宅街、仲良く遊ぶ子供たち。なんだかとても懐かしい光景
ここは友人のフォンフォが住む通り。彼は電気工、奥さんは専門学校生。子供2人。寝室と子供部屋とキッチン、バスルームだけのごく質素な小さな家。彼は友人に手伝ってもらって2階を増築中。不便な場所なので、彼はバイクで、奥さんは車で外出する
サンパウロ州都市住宅開発公団(CDHU/Companhia de Desenvolvimento Habitacional e Urbano do Estado de São Paulo)が提供する低所得者向け住宅
014「ヘリオポリスの片隅で」
ポルトガル語を習い始めて間もない頃、パウ・ジ・アララ(Pau de arara)という言葉を知った。直訳すると、コウゴウインコの止まり木、だが、ほかに2つの別の意味がある。1つは人間を棒に縛り付ける拷問のこと。もう1つは主にブラジル北東部(ノルデスチ)の人々を出稼ぎ先の都会へと運んだトラックのこと。このトラックの荷台には、何本もの板が張られ、人々はその板に腰をかけて旅をした。なにしろ「止まり木」だから、ゆったり寛ぐなんてことはできない、そんな悪条件での長旅だった。
1930年代頃から、旱魃がくるたび、貧困に陥った北東部の人々は、パウ・ジ・アララを利用し、長い時間をかけて、産業の発達していた、例えばサンパウロやリオ・デ・ジャネイロに辿り着いたという。何も持たない彼らは、そこで、主に肉体労働に従事し、都市を造り上げ、都市機能を支えた。出稼ぎ先の都会で、なんとか住まいを借りたり、購入したりできれば良いが、それがかなわなかった人たちは、すでに存在していたファヴェーラに流れたそうだ。
ファヴェーラ(Favela)。
今やあまりにも有名になりすぎてしまった言葉。ブラジルの貧民街のことをファヴェーラと言う。ファヴェーラという名は、ブラジルの北東部の乾燥地帯に生える棘のある灌木に由来するそうだ。
ファヴェーラの起源は、もと奴隷だった黒人たちが、カヌードスの乱(1895-6)を鎮圧する政府の傭兵として動員された後、解雇され、大都市に流れ、やむなく公共地に建てた住宅の集まりなのだそうだ。最初のファヴェーラは、リオのモホ・ダ・プロヴィデンシア(Morro da Providência)で、モホ・ダ・ファヴェーラとも呼ばれていた。このほか、逃亡奴隷たちの集落、キロンボ(quilombo)がファヴェーラの基礎となっているところもあるという。
以来、現在に至るまで、ファヴェーラは増殖を続けている。ファヴェーラは生き物だ。奴隷状態から解放された黒人たち、インディオたち、さらには移民、出稼ぎ農民、貧民、弱者たちが集まって来て、その規模はますます大きくなっていくばかり。ファヴェーラはブラジルの都会に必ずと言っていいほどついてまわる風景となった。サンパウロには2000以上のファヴェーラが存在し、その住民は120万人近くいるという。
友人のセーザーが住むイピランガ地区の新築高層マンションの近くに、巨大なファヴェーラ、ヘリオポリス(Heliópolis)がある。ヘリオポリスは住民数ではサンパウロ最大のファヴェーラで、12万人が住んでいるそうだ。面積ではパライソポリス(Paraisópolis)に次いで2番目に大きい。
昨年の2月、彼の案内で、ヘリオポリスの隅っこを車で通った。通りながら、ファヴェーラと言われる地区の建物が、ブラジル北東部の小さな村や街の質素な家に似ている、と思った。北東部では、それはそれで手作りの簡素な家、という感じだが、それがサンパウロのような大都会に大量に出現すると、まさにファヴェーラ。セルタオンと呼ばれる乾燥地帯を背景に散らばって建っていれば、そこそこ普通の家なのに、都会の高層住宅街を背景に、狭い土地にぐしゃぐしゃと重なると、ファヴェーラになってしまう。
ヘリオポリスは、そこだけで世界が完結してしまいそうな一帯だ。独自のラジオ局もあれば、ヘリオポリス内だけで充分やっていける商売もある。友人が言うには、ファヴェーラの住民の救済策として、政府が郊外に安価な住宅を建てて提供しても、その効果はあまりないらしい。場所的にさらに不便になり交通費がかかるとか、慣れ親しんだコミュニティを去ることで、孤独になるとか、これまで盗電していたものだから、正式に電気代を支払う余裕がないなど、よりよい職でも見つからない限り、苦しい生活を強いられることになる。
車窓からみたヘリオポリスの隅っこは、それでも魅力的だった。屋根のついたバス停をすっかり取り込んで、ちゃっかり自分の家にしてしまっているおやじ、道路で元気に飛び跳ねる子供たち。ファヴェーラでは、自力で材料を調達して家を建て、食料を入手して煮炊きして暮らすという、太古から行われて来た人間の営みが、生々しくストレートに見えてくる。いつか、サンパウロのファヴェーラの奥に入り込むチャンスがあれば、彼らの家をのぞいてみたい。そこは、ありとあらゆるサバイバルのための発想と工夫に溢れていることだろう。
私は、しばらくブラジル北東部で暮らしていたことがある。マラニョン州、ピアウイ州という、いずれも、ブラジルの中のとても貧しい地域だ。ファヴェーラの建築群、ファヴェーラの香り、ファヴェーラの色、そしてそこに溢れる人々の光景に、北東部の田舎町の光景が重なった。
(ヘリオポリスの写真は撮らなかったので、他地区の写真を載せました。)
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ポルトガル語を習い始めて間もない頃、パウ・ジ・アララ(Pau de arara)という言葉を知った。直訳すると、コウゴウインコの止まり木、だが、ほかに2つの別の意味がある。1つは人間を棒に縛り付ける拷問のこと。もう1つは主にブラジル北東部(ノルデスチ)の人々を出稼ぎ先の都会へと運んだトラックのこと。このトラックの荷台には、何本もの板が張られ、人々はその板に腰をかけて旅をした。なにしろ「止まり木」だから、ゆったり寛ぐなんてことはできない、そんな悪条件での長旅だった。
1930年代頃から、旱魃がくるたび、貧困に陥った北東部の人々は、パウ・ジ・アララを利用し、長い時間をかけて、産業の発達していた、例えばサンパウロやリオ・デ・ジャネイロに辿り着いたという。何も持たない彼らは、そこで、主に肉体労働に従事し、都市を造り上げ、都市機能を支えた。出稼ぎ先の都会で、なんとか住まいを借りたり、購入したりできれば良いが、それがかなわなかった人たちは、すでに存在していたファヴェーラに流れたそうだ。
ファヴェーラ(Favela)。
今やあまりにも有名になりすぎてしまった言葉。ブラジルの貧民街のことをファヴェーラと言う。ファヴェーラという名は、ブラジルの北東部の乾燥地帯に生える棘のある灌木に由来するそうだ。
ファヴェーラの起源は、もと奴隷だった黒人たちが、カヌードスの乱(1895-6)を鎮圧する政府の傭兵として動員された後、解雇され、大都市に流れ、やむなく公共地に建てた住宅の集まりなのだそうだ。最初のファヴェーラは、リオのモホ・ダ・プロヴィデンシア(Morro da Providência)で、モホ・ダ・ファヴェーラとも呼ばれていた。このほか、逃亡奴隷たちの集落、キロンボ(quilombo)がファヴェーラの基礎となっているところもあるという。
以来、現在に至るまで、ファヴェーラは増殖を続けている。ファヴェーラは生き物だ。奴隷状態から解放された黒人たち、インディオたち、さらには移民、出稼ぎ農民、貧民、弱者たちが集まって来て、その規模はますます大きくなっていくばかり。ファヴェーラはブラジルの都会に必ずと言っていいほどついてまわる風景となった。サンパウロには2000以上のファヴェーラが存在し、その住民は120万人近くいるという。
友人のセーザーが住むイピランガ地区の新築高層マンションの近くに、巨大なファヴェーラ、ヘリオポリス(Heliópolis)がある。ヘリオポリスは住民数ではサンパウロ最大のファヴェーラで、12万人が住んでいるそうだ。面積ではパライソポリス(Paraisópolis)に次いで2番目に大きい。
昨年の2月、彼の案内で、ヘリオポリスの隅っこを車で通った。通りながら、ファヴェーラと言われる地区の建物が、ブラジル北東部の小さな村や街の質素な家に似ている、と思った。北東部では、それはそれで手作りの簡素な家、という感じだが、それがサンパウロのような大都会に大量に出現すると、まさにファヴェーラ。セルタオンと呼ばれる乾燥地帯を背景に散らばって建っていれば、そこそこ普通の家なのに、都会の高層住宅街を背景に、狭い土地にぐしゃぐしゃと重なると、ファヴェーラになってしまう。
ヘリオポリスは、そこだけで世界が完結してしまいそうな一帯だ。独自のラジオ局もあれば、ヘリオポリス内だけで充分やっていける商売もある。友人が言うには、ファヴェーラの住民の救済策として、政府が郊外に安価な住宅を建てて提供しても、その効果はあまりないらしい。場所的にさらに不便になり交通費がかかるとか、慣れ親しんだコミュニティを去ることで、孤独になるとか、これまで盗電していたものだから、正式に電気代を支払う余裕がないなど、よりよい職でも見つからない限り、苦しい生活を強いられることになる。
車窓からみたヘリオポリスの隅っこは、それでも魅力的だった。屋根のついたバス停をすっかり取り込んで、ちゃっかり自分の家にしてしまっているおやじ、道路で元気に飛び跳ねる子供たち。ファヴェーラでは、自力で材料を調達して家を建て、食料を入手して煮炊きして暮らすという、太古から行われて来た人間の営みが、生々しくストレートに見えてくる。いつか、サンパウロのファヴェーラの奥に入り込むチャンスがあれば、彼らの家をのぞいてみたい。そこは、ありとあらゆるサバイバルのための発想と工夫に溢れていることだろう。
私は、しばらくブラジル北東部で暮らしていたことがある。マラニョン州、ピアウイ州という、いずれも、ブラジルの中のとても貧しい地域だ。ファヴェーラの建築群、ファヴェーラの香り、ファヴェーラの色、そしてそこに溢れる人々の光景に、北東部の田舎町の光景が重なった。
(ヘリオポリスの写真は撮らなかったので、他地区の写真を載せました。)