TRANS・BRASIL ブラジル往復
 
 
015「郷愁のサンパウロ」

もう2年も、サンパウロを再訪できないでいる。ブラジルはとてつもなく大きな国だから、ブラジルまで出かけてはいても、サンパウロに立ち寄れないまま、ハンブルクに戻ることも多い。今年のブラジル行きも、どうやらそうなってしまいそうだ。

そんなわけで、最近、サンパウロの記憶がどんどん薄れてきている。自分の街のように、自在に歩き回れたサンパウロの記憶が、少しずつあやふやになってきている。

一時は移住することを真剣に考えた街。それくらい、この街が好きになった。結局、いろいろな理由で、完全移住することはできなかったのだが、もしまた、8年前のような転機がやってきて、チャンスを掴むことができるなら、その時はきっと移住したいと思う。

はっきり言って、住みやすい街ではない。夜の街はハンブルクの10倍くらい危険そうだし、交通は非常に不便だ。貧富の差がとても激しく、その格差のほどにはめまいがする。金持ちは摩天楼をヘリで移動し、周縁の貧困層が寄り添って生きるファヴェーラは増殖するばかり。起伏の激しい街なので、大雨が降れば、道路が滝のようになるし、チエテ川の悪臭は頭痛がするほどひどい。

それでも、 それでも、サンパウロは、私には美しく見える。 でもその美をどう表現したらいいのだろうー。

フランスの社会人類学者、クロード・レヴィ=ストロースの著書「悲しき熱帯」(1955)の中に、サンパウロの章がある。彼は1930年代にサンパウロで生活し、新設のサンパウロ大学で教鞭をとり、ブラジル各地で調査を行った。

彼の「サンパウロ」の章には、こんな文章がある。(以下引用)

・・・世界最美の都市の特徴である年齢を超越した生命——それはアメリカの都市には無縁のものだ。ニューヨークにせよ、シカゴあるいはシカゴとよく比べられるサン・パウロにせよ、新世界の都市が私を驚かすのは、旧跡がないということではない。旧跡がないというのは、新世界の都市の意義の一つである。

ヨーロッパの都市にとっては、何世紀も経ていることは昇進を意味するが、アメリカの都市にとっては、年を経るということは転落なのである。なぜならアメリカの都市は、ただ新しく造られただけでなく、それらが——粗雑に——造られたのと同じ迅速さで更新されるようにできているからである。
(中略)極めて短い周期で進化する町を、我々は緩やかな周期の町と比較しているのである。

ヨーロッパの幾つかの都市は、死の中で静かに眠り込んでいる。新世界の幾つかの都市は、慢性の病気に罹ったまま熱に浮かされて生きている。永遠に若いとは言っても少しも健康ではない。

それでいてサン・パウロは、私には一度も醜く思われたことがない。それはアメリカ大陸のすべての町のように野育ちの都市なのだ・・・

翻訳は川田順造さん。(中公クラシックスから)

特に、「野育ちの都市」という言葉にしびれた。なんてうまい表現なのだろう。翻訳も素敵だ。そう、サンパウロの美しさは野育ちの美しさなのだ。

標高800メートルの、亜熱帯ジャングルを覆うコンクリートジャングル。すぐに老朽化してしまうコンクリートジャングルの隙間から顔を出す熱帯植物、亜熱帯植物の逞しさ。サンパウロは、21世紀の今も熱病に浮かされているようだ。そして、私もその熱病に罹っているのかもしれない。

 
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